夢工学サロン(事例資料)
「第4回夢工学サロン-11/22」:川勝さんからの<フォローアップ情報>
<川勝さんからのフォローアップメッセージです> No.1/5
構想企画段階での資料
・夢工学サロンで川勝にテーマパークやエンタメ施設の構想企画段階での資料を見たいとのご要望を受けました。
・つきましては、下記のプロジェクトに関して、川勝の手元にある極秘資料から公開可能な資料を抜粋し、数度に分けててお送りします。岩下さんから本メールを含め、皆さんにご配布をお願い致します。
1 新日鐡MCAユニバーサル・スタジオツアーPJT
2 セガ・ジョイポリス第一号横浜プロジェクト(PJT)
3 岐阜県「昭和村」PJT
・しかしご希望に沿った初期の構成企画段階での資料は、当該計画が固まれば廃棄されました。手元にありません。ついては完成した施設画等からご想像下さい。
新日鐡MCAユニバーサル・スタジオツアーPJT(大阪のUSJ開園の10年前のPJT。川勝は本PJTの総括責任者)
・特に新日鐡MCAユニバーサル・スタジオツアーPJTの資料は、現在も新日鐡とMCAとの30数年間の秘密保持期間中なので公開できません。しかし許される範囲で開示しました。
・もし新日鐡の当時の社長が川勝の成功立証内容を信じ、共に連帯責任を負って自らも立証していたら、もし同社長と川勝との間にいた副社長(新日鐡に天下った通産省元事務次官)の裏切りがなければ、本プロジェクトは実現し、成功したでしょう。
・川勝が「成功する」と主張した集客数・最低でも年間600万人で総投資額(追加投資を含め)1800億円の本PJTは、ハリーポッターで有名な大阪USJの大成功で歴史的に証明されました。
新日鐡で潰された「仇」を取る。
・川勝は「新日鐡に将来はない」と取締役ポストを捨て、米国系のヘッドハント会社の誘いでセガに転籍しました。そしてジョイポリス第1号を横浜で成功させ、全国多館展開も成功させました。新日鐡で潰された「仇」をセガで取りました。
・セガでの大成功で川勝はNHKなどのメディアに登場。それを見た岐阜県梶原知事が川勝をスカウト。地方公務員試験を経て、県庁三役(知事、副知事、理事)の岐阜県理事に任命されました。
・岐阜県理事時代に「昭和村」、「バーチャル&リアル水族館」などを成功させました。新日鐡で潰された「仇」を岐阜県でも取りました。
新日鐡の現状と将来
・新日鐡は川勝が勤務していた時代、世界一の鉄鋼会社でしした。しかし現在は、橋本現社長の頑張りで何とか立ち直っていますが、世界の鉄鋼業界では第3位の地位に落ちました。1位復活は無理でしょう。
・新日鐵は現在、社名を日本製鐵に変更(日鐵住金のままにすべきでした。日鐵が「真の変身(新規事業の成功)」をしない限り、近い将来、世界の4位か、5位に落ちるでしょう。情けない会社になりました。
川勝の経営コンサルタントとしての企業への支援指導の中身
・川勝は新日鐡勤務時代も、セガ時代も、官僚時代も、今の経営コンサルタント時代も、社長の基本的使命且つ責務は次の様に考えています。
・それは①既存事業を成功させる事、②同時に新規事業も成功させる事です(ドラッカーの教え)。既存事業だけ成功させた又はさせている社長は「半人前の社長」です。新日鐡も、トヨタ自動車も、多くの大企業の社長は半人前の社長ばかり。
・バブル崩壊後の30年間、日本の経済は全く成長していません。その最大の原因の1つが大企業、中小企業などで「一人前の社長」が居なかった為と考えます。
・同時に社長が新規事業を成功させる「成功根源3要因(本物の夢×優れた発想×優れた発汗)」を知らなかった又は知っていても実践しなかった為でしょう。此れは社長だけの責任ではなく、社員にもその責任があると思います。
川勝の経営支援指導の概要
・現在、川勝は日本と海外の各種の企業から要請され、経営顧問に就任させられ、様々な経営支援指導をしております。上記の「一人前論」や「成功根源3要因」は此の支援指導の柱にしております。
・川勝は支援指導に際して企業人(社長&社員)が欲しがる「魚」を与えません。欲しい「魚を釣る方法」を与えています。この方法で川勝に支援指導はほぼ100%成功させています。
・その方法とは①社内で天才を探し、起用し、「優れた発想」をさせる事、②天才がいないなら、社内外から人材を集め、「発想法」を体得させ、「優れた発想」をさせる事です。発想法として「デック思考」を核にして指導しています。
・優れた発想を生み出した企業人は、嬉しくなり、感動します。其の結果、是が非でも実現させたくなり、「優れた発汗(行動)」を自発的、自主的にします。
・その当然の帰結として、「優れた発想」は実現され、成功します。実は成功させたのは企業人自身です。しかしいつも「川勝先生のお陰です」と感謝されます。
もし宜しければ、「ダメモト」で一度、川勝から皆さんの会社で「デック思考」の実践研修をなさいませんか。
川勝良昭(Yoshiaki Kawakatsu)
・経営コンサルタント&東工業㈱取締役
・〒173―0025 東京都板橋区熊野町22-2 川勝事務所
<川勝事務所=自宅ビル地下1階、東工業(株)=自社>
・携帯電話 090-3257-1610
・PCアドレス ykyk.yoshiaki@gmail.com
<プロジェクト構想段階の絵> No.1/5 *順不同
<川勝さんからのフォローアップメッセージです> No.2/5
昭和村プロジェクトのミソ
・昭和村の仮説画をお送りします。実際はもっと変わった奇抜なアイデアが沢山あったのですが、捨てました。中でも変わったアイデアが川勝が出した岐阜の柳ケ瀬商店街の中にあった「ストリップ小屋」の再現とスチップショーの上演でした。
・セガでジョイポリスを成功させた川勝を直接スカウトし、地方公務員試験(★)を経て県庁三役の岐阜県理事の正規官僚に任命した「岐阜県・元・梶原知事」と「川勝」だけが「ストリップ小屋」の設置と上演に賛成。しかし関係部局長の大反対でやめました。
・現在も存続し、成功している岐阜県昭和村は、川勝が構築した昭和村の計画の3分の1の「農村地域」しか完成させていません。残り3分の1は柳ケ瀬商店街などの「都市地域」、残りの3分の1は「山林地域(木製ジェットコースターなど)」が未完成です。
・この残りこそが昭和村の昭和村である証となる「ミソ」の部分です。もし昭和村の集客が今後、落ちた時、この残りを再現すれば成功します。
・川勝は後に新潟県・元・泉田知事に直接スカウトされ、新潟県参与になりました。梶原知事から「川勝君、君の部下でもあった岐阜県庁の泉田課長(通産省から岐阜県に出向。新潟県知事に立候補して当選)が新潟県で知事として苦労している。助けろ!」と命令され、県から県に移籍。しかしこの移籍に依って昭和村の残りを完成させる事が出来なくなりました。なお新潟県では風力発電、太陽光大型発電所などのプロジェクトを開発しました。
夢工学の本質(コア)
・皆様に申し上げたい事があります。其れは「夢工学の本質(コア)」を理解して頂く事です。
それは以下の事をする事でございます。
1 ビジネスの分野では、「夢(好きな事、叶えたい事、目的など)」が実現(ビジネス・プラットフォームの完成=PMの最終目標)し、その基盤で「夢」が成功した(事業運営がサステナブルになった事)時の「状況と効果」を可能な限り「絵」で仮説すること。
2 この状況仮説と効果仮説(どれくらいの収益を望むかを設定)の内容が「取らぬ狸の皮算用」と批判されても、狂って(キチガイ地味)ていると批判されても、愚か者(バカ)がする事だと批判されても、設定すること。
3 この仮説を設定する事は「発想する作業」で生まれること。
4 世間一般では、①発想は飽くまで発想。②発想を現実化する作業は別の作業(チーム活動、PM活動、アジャイル式現実化など)が必要と言われています。此の事はある程度事実です。
5 しかし②の作業が行き詰まった場合、全てを振り出しに戻ってやり直す事は現実的ではありません。そんな事をしていてはプロジェクトの目的、特に工期に間に合いません。
6 行き住まった事態を解決し、前に進むにはどうするか? まさに「修羅場」、「正念場」、「土壇場」に直面します。これを打開する方法を是が非でも見付けねばなりません。
7 川勝はこの「地獄の3つの場」を昭和村プロジェクトなどを実現させる時に経験しました。下記の暗礁に乗り上げた事です。
8 なお川勝が実現させたジョイポリスも、昭和村も、実現一歩手前で潰された新日鐡MCAユニバーサル・スタジオ・ツアープロジェクトも、すべてクレージーで愚かな仮説から出発しています。
昭和村開発で暗礁に乗り上げ
・川勝は昭和村の計画を進める段階で大変な問題に直面し、暗礁に乗り上げました。以降のメールでご説明します。
全ての試験に合格するズルイ秘策
★川勝はセガ勤務時代、梶原知事から極秘でスカウトされました。しかし公務員試験に合格しないと、公務員になれません。約1年弱の短い期間、本職の仕事の合間と隙間で、「或るズルイ秘策」で受験勉強しました。
★川勝は学生時代から「此のズルイ秘策」を編み出して勉強。此の公務員試験を含み、他の全ての受験を成功させました。皆さん、此の秘策をご存じですよね? 知りたい方はお教えしますが、如何ですか?
<プロジェクト構想段階の絵> No.2/5 *順不同
< 川勝さんからのフォローアップメッセージです> No.3/5
・仮説画の追加の「その8」をお送りします。皆さんに回覧して下さる様にお願いします。
この続きは別の日に「その9」以降で、①「昭和村で暗礁に乗り上げた事」、②「ユニバーサル・スタジオの件」をお伝えします。
量が質を決める
・川勝から「お送りしている仮説画はこれで十分と思わないで下さい」。何故なら昭和村プロジェクトで此の様な仮説画は数万枚書かせました。その中から僅か数十枚をご披露しているだけですが、この量を多さを実感して頂きたのです。
・プロジェクトを成功させたいならば、数千枚、数万枚の仮説画を描くべきです。「量が質を左右する」とは此の事です。最近の各社のDXの検討での企画書のコンセプト仮説画があまりにも少ない。これではDXは成功しません。
シナリオとストーリーボード(紙芝居の画面の様なもの)が映画の成否を決める。
・川勝はMCA社のハリウッドでの映画制作現場で立ち合い、確定したシナリオから確定したストーリーボード(紙芝居の画面の様なもの)を最低でも「数千枚」を作製されている事を目撃しています。
・しかも未確定なシナリオは数百あります。従ってそれ毎にストーリーボードが描かれている(現在はPC処理)。その結果、最低でも数万枚から10万枚描かれています。その中から最適なモノを選択するのです。
・日本の映画制作はハリウッドの比べると、子供が映画を作る様な幼稚さです。
・ハリウッドはシナリオとストーリーボードを手間暇と金と時間を掛けて作成。それを確定させてから、監督を決め、予算を決め、俳優を決め、撮影を開始します。これをやるのが映画プロヂューサーです。
・韓国も、中国も、この映画制作のやり方をハリウッドに学んで国際的な映画を製作し、ヒットさせています。
・この映画手法はビジネスに活用させるのが「夢工学」です。
ジョイポリスの命名は「量が質を決める作戦」で実施
・ちなみに川勝がセガで「ジョイポリスの名前」を1つ決める為に、事前に選ばれた候補名から「約4000個」を選び、その上で「更に選択」。最終的に「ジョイポリス」と「ガルボ」の2つを厳選。社長にどちらかを決めて貰いました。
・余談ですが、川勝は社長が「へそ曲がり」である事を知っていました。川勝はガルボが気に入っていました。従って「ジョイポリス」と社長に推薦すれば、「ガルボになる」と分かっていました。しかし社長会談の前日の夜、迷いました。
・翌日の同会談で、いよいよ社長から「川勝さん、どちらを推薦しますか?」と言われました。もし「ジョイポリス」と答えれば、「ガルボ」と社長は決める。しかし「ジョイポリス」と答えると社長が「その通り決める可能性」は万が一でもあります。
・もしそうなると川勝の意に反する推薦をした事になる。一瞬迷った上で、川勝の「本心、本気、本音」に従って「ガルボを推薦します」と答えた。案の定、「俺はジョイポリスが良い」とへそを曲げました。後の祭りでした。
・悔しかったので、セガでジョイポリス以外に中型の室内型テーマパークを幾つか作った時、其れ等に「ガルボ」と社長に命名して貰いました。
<プロジェクト構想段階の絵> No.3/5 *順不同
<川勝さんからのフォローアップメッセージです> No.4/5
「昭和村で暗礁に乗り上げた事」、「ユニバーサル・スタジオの件」を順次、お伝えします。
「昭和村プロジェクトで暗礁に乗り上げた事」
・川勝が岐阜県理事の県庁3役時代(知事、副知事、理事)の或る日、梶原知事から「川勝さん、愛知県には明治村が、岐阜県には大正村が夫々あります。しかし昭和村はどこにもありません。是非、本県で作って下さい」と懇願された。
・「承知致しました」と応え、県庁内に特別チームを編成。実現に向けて挑戦。チームは意気盛んであった。しかしとんでもない問題に直面した。それは「昭和村」の「昭和」にあった。
・昭和は数度の戦争を経験した時代。特に悲惨な敗北を帰した太平洋戦争のイメージが付きまとった時代。戦争を暗示する「昭和村」など誰も来ない。知事、副知事、川勝、部下の部局長、チームメンバー全員が頭を抱えた。
・川勝は「昭和村の基本コンセプトは何が適切か?」毎日、苦闘しながら本来の理事職の仕事の合間と隙間で考えた。
「ため息」、「焦り」、「眠れない日々」
・川勝は「岐阜県庁・川勝理事室」に出勤するのは、東京から岐阜に1か月数回出張した時だけ。ほぼ毎日の通勤先は、東京都千代田区永田町にある「都道府県会館(永田町)岐阜県東京事務所・川勝理事室」であった。
・東京の此の理事室で、川勝は、ほぼ毎日「ため息」をつき、「一人芝居の愚痴」を言い続けていた様だった。此の事を後に川勝の秘書官と秘書の女性から聞いた。基本コンセプトが見付からず、時間ばかり経過。焦る気持ちから寝られぬ日々が続いた。
偶然の発見
・「ため息」と「焦り」から睡眠不足となった。その為、川勝理事室でウトウトする事が多くなった。理事室には自分一人しかいないので仮眠はできる。しかし他の県職員は一所懸命働いている。ウトウトしない様にした。しかし或る日、或る時、寝てしまった。
・しかしモノ音に直ぐに目を覚ました。その時、理事の机の前にある応接セットの先の壁に貼ってある「昭和村プロジェクト計画地(現在の昭和記念公園)の図面」を何気なく見た。そして何気なく他の壁にある「岐阜県の地図」を眺めた。
・その瞬間、或る事に気が付いた。今もその瞬間を鮮明に覚えている。
その瞬間、基本コンセプトを思い付いた。
・其れは「計画地の南北に細長く広がる形」と「岐阜県の南北に細長く広がる形」は、一部を除き、ほぼ相似であった事に気が付いた。
・次の瞬間、岐阜県そのものを計画地に重ねる事を思い付いた。言い変えれば、岐阜県が発展した良き時代の岐阜県を切り取り、計画地に貼り付ける(再現する)基本コンセプトならば、戦争時代を完全に排除出来る。
・悩み、悩んだ末に、偶然の発見から基本コンセプトを見出した。苦労した甲斐があった。万歳した。嬉しかった。一人で飛び上がっている川勝を見た秘書官と秘書の女性が理事室に飛び込んで来た。
・岐阜県は、南地帯が都市地域、中地帯が田園地域。北地帯が山岳地域とほぼ分かれている。計画地も南部分、中部分、北部分に分けられる。岐阜の発展歴史を具現化できると考えた。アイデアは次々と浮かんだ。
昭和村の南部分の計画=柳ケ瀬繁華街の再現(現在の昭和村は南部分を開発していない)
・計画地の南部分には、「岐阜市」の発展した時代を具現化する。美川憲一の「柳ケ瀬ブルース」で有名な柳ケ瀬の繁華街が最高に栄えた時代を再現する。キャバレー、飲み屋、ストリップ小屋などを作る。
・知事に「ストリップ小屋を作りますよ」言って、お互いに顔を見わせて大笑いした。しかし県庁がストリップ小屋を作り、ダンサーに踊らせる事に部局長は大反対した。取りやめた。
・戦後の時代考証、伝統の研究などの「理性的発想」とエンタテイメントの導入という「感性的発想」を同時同質に発揮させる努力を部下の部局長、課長、一般職員と共に行った。
昭和村の中部分の計画=田畑と古民家の再現(現在の昭和村)
・計画地・中部分は、岐阜県の田園地帯を具現化。昔ながらの古民家を再現または移築する。伝統工芸品の店の再現などを計画した。
昭和村の北部分の計画=山林と製材所の中にエンタ施設を新設(現在の昭和村は南部分を開発していない)
・計画地の北部分は、岐阜県の山岳地を具現化する。ここに筆者のテーマパークの経験を生かす計画を立てた。
・それは山の木の集積所、製材所などの山林事業の建物の中や周辺に、木製のジェットコースター、木製の遊戯施設を導入し、山林の雰囲気に溶け込ませる計画を進めた。
・計画地の最も奥まった箇所に最も魅力があり、集客力のある施設を配置する。またテーマパークの入り口は絶対に1か所のみとする。これ等はテーマパーク成功方程式(秘訣)と言われるものである。
・これはスーパーマーケットの店内の販売部の配置にも活用されている。客が必ず買う品物を店の最も奥まった箇所に置く方式である。この方式はトラップ方式と言いう。
・1か所から入れた客を最も奥まった処に誘導し、入口から出るまでの滞留時間を増やし、楽しませたり、買い物させたり、食べさせる消費機会増進の作戦である。
現在の昭和村は中部分のみ再現。従って開発途上の未完成施設。もし集客激減、経営危機等に直面した時は、原点に戻り、北、中、南一体開発をすれば成功し、未来永劫の昭和村になると確信する。
・筆者が計画した後、昭和村の開発が進む段階になり、諸般の事情から南の部分と北の部分の開発が実施されなくなった事は極めて残念な事である。
・其の後、筆者は新潟県・元・泉田知事にスカウトされ、岐阜県理事を退官し、新潟県参与に転籍した。そのため昭和村のその後の開発から完全に離れてしまった。
・現在の昭和村は岐阜県の戦後の最も発展した良き時代を象徴する「昭和村」にはなっていない。所謂「未完成の昭和村」である。
・もし現在の昭和村の集客力が落ちて対策に苦慮した時は、「本来の昭和村」を完成すれば、来客数は増え、未来永劫の「昭和村」になるだろう。
<川勝さんからのフォローアップメッセージです> No.5/5
資料の送付
・新日鐵MCAユニバーサル・スタジオ(USJ)の件を、「その10」で、お伝えします。送付すべき添付資料がありますので「その11」以降で送りします。
・新日鐵USJプロジェクトの内容は、同社とMCA社との間で其の内容に関して第3者に公開してはならない契約があり、現在、その順守期間にあります。ついては其の極秘資料の内容を開示できません。
・開示して可能な資料を選んでお送りします。
新日鐡USJ計画の一期計画と二期計画
・明治時代から現在まで延々と鉄鋼事業を続け、世界一の製鐵会社になった新日鐡は、以前、大鉄鋼不況に直面し、経営危機になりました。
・この危機からの脱出の為に、新日鐡は様々な新規事業に挑戦。その中の最大の事業プロジェクト(1期2期で総額1800億円)が此のUSJでした。川勝はその総括責任者に任命されました。
・川勝は堺製鐵所(100万坪)の傍に在る30万坪の埋立地にUSJを作る事を「一期計画」としました。このUSJを「呼び込みパンダ」として100万坪の製鉄所の操業を止め、其処に新しいエンタメ都市空間を作る事を「二期計画」としました。
・もし新日鐡がUSJを実現させておれば、新しい都市空間(映画、音楽、劇場、フイルム会社、システム&コンピュータ会社など)を作る事はさほど難しくなかった。
・何故ならMCA社のトップは、川勝に以下の事を内々に約束してくれたからです。それは二期計画に全面的に協力し、ハリウッドだけでなく、世界中のエンタメ事業会社の誘致に協力する事でした。
・川勝は此の内約を社長に伝え、伝統の鉄鋼事業に新たな事業の柱を付け加える事を力説しました。
・しかし新日鐡社長はUSJも、新事業も決断しなかった。川勝は「新日鐡に未来はない」と判断しました。米国系のヘッド会社にハントされた事を契機に、セガに転籍した次第です。この判断は正しかった。
・現在の新日鐡は日本製鐵に社名変更しましたが、世界第1の製鐵会社ではなくなり、現在は3位の会社です。近々、4位から5位の会社に凋落します。
・ちなみに川勝が「USJは成功する」と立証し、主張した事は、現在のハリーポッターのUSJの成功によって歴史的の正しかった事が証明されました。
質疑応答
・今回3つのプロジェクトに関しての情報をお伝えしました。ご質問があると存じます。夢工学サロンのZOOM会議の場でご質問下さい。お答えします。若しくは川勝にメールでご質問下さい。川勝のメールアドレスはykyk.yoshiaki@gmail.comです。
<プロジェクト構想段階の絵> No.5/5 *順不同
以上です。
<注>
資料は改訂される可能性がありますのでご了承ください。