「第12回夢工学サロン-2024/4/25」

 

「第12回夢工学サロン-2024/4/25」議論概要

~川勝さんを囲んでの語らいの場~

 

「夢工学/DEC思考の実践事例」 の紹介

~成功と失敗の5大事業プロジェクト~ <その5>

 

 文責:岩下


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<事前配布資料>:5.5 <第5部> 2.セガ・ジョイポリス・プロジェクト その1 :P1〜P90
夢工学サロン 成功と失敗の5大事業プロジェクト 第5部 川勝良昭 042024.
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「夢工学/DEC思考を具体的にどういう風にやっていくのか?」 「実践するには訓練が必要とのことだがどの様なことか?」という意見がありますので、改めて川勝さんに、実践編として「成功と失敗の5大事業プロジェクト」についてお話を伺うことにしました。

 1.新日鐡・MCA ユニバーサル・スタジオ PJT(1878−1879年)

  2.セガ・ジョイポリスの第1号館&全国多館展開 PJT(1992−1995年)

  3.岐阜県世界淡水魚リアル&バーチャル水族館 PJT(1995−1999年)

  4.岐阜県・昭和村 PJT(1999−2003年)

  5.新潟県・大型太陽光発電所 PJT(2005−2011年)

今回は<その5>として、「2.セガ・ジョイポリスの第1号館 & 全国多館展開 PJT」 について伺います。

これらの実践の中から、「夢工学/DEC思考」の基本コンセプトや発想の方法論などの殆どが生まれましたので、誕生のストーリーを知ると共に実践的な全体像を把握することができると思います。

 


「2.セガ・ジョイポリス・プロジェクト」 その1 

 

 

 今回は初めて参加の方が三名おられますので、<振り返り>ながらお話頂きました。

 

<川勝さん講話>

「夢工学」について説明すると、それはプロジェクトマネジメント(PM)について説明するのと同じくらい時間がかかります。詳細に説明することはできませんが、主要なポイントだけをお伝えします。

 

「夢工学」とは、一言で言うと、PM以前の<前工程(VPM:Vision Planning Management)>とPM以後の<後工程(OM:Operation Management)>を一つにまとめたものです。つまり、<VPM(前工程)>+<PM(中間工程)>+<OM(後工程)> これらを一つに統合したものが「夢工学」です。これは「トータルプロジェクトエンジニアリング(Total Project Engineering)」とも言われます。

 

<前工程>というのは、「夢からスタート」するということです。夢から新しいことを立ち上げ、それが計画になり、PMという形になります。PMが完了した時点で、事業プラットフォームができます。しかし、事業プラットフォームが実現しただけでは終わりません。その上で事業を始め、収益を上げ、借金を返し、サステナブルな事業運営が成功するまでが「夢工学」の範疇です。夢からスタートして最後の成功するところまでの全てを含んだのが「夢工学」となります。

 

「夢工学」の構想を立てたのは、今から約30年前のことです。概念的には、「夢工学」は事業の始まりから終わりまで全てを網羅したものだと考えていただければと思います。「夢工学」の特徴的なことを少しだけ申し上げて、今日の話につなげたいと思います。

 

「夢工学」の特徴について説明します。

「夢工学」は、「*Back to the Present」という考え方を基にしています。これは、「Back to the Future」という映画からインスピレーションを得たもので、過去から現在に戻るのではなく、未来から現在に戻るという考え方を取り入れています。具体的には、未来の結果(仮説)を最初に設定し、その結果を生み出す要因を現時点で創り上げるという考え方です。未来の仮説を設定し、現在をこの仮説と強制的につなげて、実現するという考え方です。これを「未来仮説現在強制実現法」と呼びます。これが「夢工学」の特徴です。(*<Backward Casting>(バックキャスティング)と同じ意味です。)

 

この考え方は、映画制作のプロセスから生まれました。映画制作では、まず原作やシナリオ、つまり物語があります。この物語を元に、まだ何も実現していない段階で「紙芝居の絵(絵コンテ:Story Board)」を作ります。未来で実現しているかのような絵を描くことで、映画の仮説を作り上げます。それを元に、俳優を決めたり、撮影を行ったりします。つまり、未来の仮説を作り、それを詳細に描き、現実の撮影を行う、という考え方が映画制作の方法です。これが、「夢工学」の発想の原点となっています。

 

通常の経営計画やプロジェクトを立てる時には、未来を見ながら現実から接近していく<Forward Casting>(フォワードキャスティング)ですが、「夢工学」の場合は、費用や実現性などを全く無視します。とにかく、実現したい夢や成功したいものを紙に書き、模型を作り上げていきます。それを先にやってしまうという考え方です。それを実現できる方法が現実にあればそれを使い、なければ新たなものを創造します。これが、「夢工学」の考え方です。この考え方は、世の中にはいくらでも存在しますが、徹底してそれをやることを基本にしているとご理解下さい。

 

それでは今日の話題について説明させていただきます。セガへ転職する前に何をしていたかというと、新日鉄に勤めていました。そこで私は「MCAユニバーサルスタジオツアー」というプロジェクトを担当していました。現在大阪にあるハリーポッターの「ユニバーサルスタジオジャパン(USJ)」がオープンする10年以上前に、私は新日鉄で、ユニバーサルスタジオツアープロジェクトを担当していたわけです。

 

このユニバーサルスタジオツアープロジェクトを日本に持ってきたのは、黒澤明さんという映画監督です。彼がMCAの社長から、「ユニバーサルスタジオを日本に作りたいので、日本の企業を紹介してくれ」という依頼を受けました。黒澤さんは東急電鉄に話を持って行きましたが断れてしまい、プロジェクトを受けるところがなくなりました。

 

困った黒澤さんは、三井物産経由で、新日鉄にこのプロジェクトを提案しました。そして、私がそのプロジェクトの統括にアサインされました。プロジェクトを担当しましたが、ある日、この新日鉄MCユニバーサルスタジオプロジェクトの中止が決定されました。この1,800億円のプロジェクトは中止になってしまいました。頭にきましたが、それは兎も角として、以前に私はそんなことをやっていたというわけです。

 

ある日、電話がかかってきました。「川勝さんですか?」「ちょっと会ってくれませんか?」と言われ会ったのは、当時は余り知られていなかった、エグゼクティブリサーチ所謂ヘッドハンターでした。私が初めてヘッドハンターから電話をもらった瞬間でした。最初は何者かと思い相手にしなかったのですが、真面目な電話でしたので、会うことにしました。ヘッドハンターというのは、首狩り族のことです。

 

皆さんもご存じと思いますので、詳しくは説明しませんが、現在でもヘッドハンターは存在します。リクルートなどが行っているヘッドハンターと、ここで言うヘッドハンターは異なります。世界中にヘッドハント会社があり、有名な会社としてはエゴンゼンダーやラッセルレイノルズなどがあります。私はラッセルレイノルズのヘッドハンターからアプローチされたのです。ヘッドハンターとは、ある会社のエグゼクティブを引き抜いて別の会社に連れて行く仕事を指します。ヘッドハンターに紹介されて、私はセガという会社に転職しました。ヘッドハンターで契約が成立すると、ヘッドハントされた人の年収と同額をヘッドハンター会社が報酬として受け取ります。1億円だったら1億円です。これほどの報酬をとるのが本物のヘッドハンターです。皆さんのところにも、そういう話が来た時は、是非とも一度真面目に対応してみてください。

 

ヘッドハンターから、いろんな仕事を紹介されました。私は元々経理が専門でしたので、海外の駐在もやったことがあります。外資関係の仕事、証券関係の仕事、それから都市銀行さんとか、いろんな方とのお付き合いもありました。そういう金融関係の仕事をやっていたのです。ヘッドハンターからある会社の財務担当副社長として働かないかという話が来ました。当時のお金で、年収が3000万円ぐらいでした。今から20数年前の話ですが、そういうヘッドハントの紹介がありました。しかし、私は断りました。そんな仕事をしたくないからです。私はユニバーサルのテーマパークをやっていたので、それを中心にした仕事をしたいと思っていました。

 

ヘッドハンターからの話だけでなく、自分でもいろいろ調べていました。ロッテという会社は、皆さんもご存知だと思いますが、チョコレートのロッテです。当時ロッテはチョコレートだけでなく、ロッテワールドというものを作っていました。それに私は興味がありました。そこで、創業者の重光さんに手紙を出しました。最初は全然相手にされませんでしたが、同じ内容の手紙を3度出しました。すると、ある日電話がかかってきて、重光さんが会いますと言われ、私は初めて彼と会いました。30分の約束だったのですが、結果的には3時間近く話しました。

 

結論から言いますと、ロッテの方から「川勝さん、ロッテに来ないか?ロッテワールドを作らないか?」という話がありました。ちょうど同じ時期に、セガからも「セガでもっと面白いものを作りたい。川勝さん、手伝ってくれないか?」という話があり大変悩みました。どちらにするか、色々と悩みましたが、最終的にはセガを選びました。

 

セガに決定したのは良かったのですが、私の前からは多くの人々が去っていきました。私は新日鉄の役員も務めていたので、銀行や商社など沢山の人々と交流がありました。しかし、セガという不良の集まるゲームセンター会社に転職するなんて、と見下して私の下から去っていきました。非常に寂しい思いをしました。

 

セガへ転職後もまた大変でした。何が困ったかというと、セガの社長から「川勝さん、セガで何をやって欲しいかというと、新しいテーマパークを作ってくれ」と言われました。その責任者になりました。しかし「新日鉄では資金は潤沢にあっただろうけど、セガではお金がありません。予算は極めてわずかな中でやっていただきたい」ということをいきなり言われました。新日鉄では、200人から300人ぐらいの部下を使っていましたが、セガではなんと最初に集まったのは5人ぐらいでした。その後少しずつ増やしましたが、それでも10人ぐらいでした。

 

そして、孤立無縁でした。セガには知っている人が誰もいないわけです。私を採用した中山さんという社長だけが私を知る人で、部下は10数人だけでした。テーマパークなど誰も分からないことで、やっていたのはゲームセンターを作るぐらいでした。それから四面楚歌の状態で、周りからは相手にしてもらえませんでした。「新日鉄の人間が来て何をやるんだ」という感じでした。新日鉄でユニバーサルスタジオツアーをやっていましたが、中止になってしまったので、何も成功していないわけです。私には実績が何もないわけですから、そんな私を相手にしてくれる人は誰もいませんでした。まさに四面楚歌でした。

 

「風俗営業法」という法律が存在します。これはパチンコ店やソープランドなどを規制するもので、ご存知かと思います。実は、セガが運営していたゲームセンターもこの法律の対象でした。具体的には、夜の12時以降は営業が許可されません。ソープランドも同様に、12時以降の営業は禁止されています。パチンコ店も同じです。

 

私はユニバーサルスタジオツアーで得た経験を活かし、セガの社長から新しいテーマパークの開発を任されました。しかし、その施設が風俗営業法の対象という現実に直面しました。この風俗営業法の対象から外れなければ、何をやっても無理です。絶体絶命の状況に陥り、眠れない日々が続きました。どうすればいいのか、どう進めばいいのか、全くわかりませんでした。家族には心配をかけないように、その辛さを一切顔に出さず、私だけの胸にしまっておきました。まさに悪夢のような日々でした。

 

最も苦労したのは、何を作るべきかでした。どんなものを作ればいいのか。ゲームセンターしかないセガで、何を作ればいいのか。そのコンセプトが分からなかったのです。どんなテーマパークを作ればいいのか、全くわからなかったのです。私が以前に経験していたユニバーサルスタジオツアーは、アメリカでMCAという会社が運営して成功していました。それを日本に持ってきて、新日鉄に運営させようということです。しかし、今回は何もない状況でした。まさに暗礁に乗り上げ、孤立無援の状況でした。それでも私達は頑張りました。

 

テーマパークを作ろうと思っても、資金も何もありませんでした。模型を作るにも、模造紙や画用紙、絵の具を購入し、部下と一緒に模型を作りました。お金がなく、予算も限られていたため、このような方法で対応しました。孤立していて、どこに行っても相談に乗ってもらえず、協力してもらえませんでした。ゲームセンターを運営するセガでは、テーマパークを手掛けた人はいませんでした。当時の日本では、ディズニーの関係者以外には手掛けた人はほとんどいませんでした。孤立無援や四面楚歌という状況は当然でした。

 

「あいつはよそ者だ」「かっこつけている」と、妬みや足の引っ張り合いのような感じがありました。しかし、やるしかないということで、必死に取り組みました。毎日残業しながら、苦労しましたが、特に部下たちが偉かったです。中でも、鈴木さんという女性は素晴らしかったです。彼女は仕事が忙しい時は寝袋を持ってきて、会社に泊まり込んで働きました。そういう努力をしている私たちを、周りの人たちも自然に目にするようになりました。「あの部署は本気でやっているな」と、少しずつ協力してくれるようになりました。その結果、孤立無援や四面楚歌という状況が少しずつ解けていきました。

 

その時、私は気づきました。孤立無援や四面楚歌というのは、要するに甘えだということです。そんなことを言っている場合ではないと思いました。自分がやらなかったら、誰がやるのか。そういう気持ちが部下にも少しずつ伝わり、部下たちもやる気になってきました。辞めていく部下もいましたが、ほとんどの部下は辞めずに私に従ってくれました。ここまでの話は、まさに涙の物語です。

 

問題は風俗営業法でした。川勝グループは新しいセガのテーマパークを作ることになりました。これは家族を対象にしたテーマパークで、ゲームセンターとは異なるものです。しかし、どんなに説明しても理解してもらえず、困っていました。そんな時、ふと思いついたのが「ディズニーランドは風俗営業法の対象ではない」という事実でした。それならば、私たちもミニディズニーランドを作ればいいのではないかと考えました。

 

ディズニーランドと同じようなものを作るために、色々と研究しました。ディズニーランドにはあって、セガのパークには無いものは何かと考えた結果、子供を対象にしたアトラクション、例えばメリーゴーランドなどが必要だと思いました。

 

ディズニーランドはディズニー映画を基本にしていますが、セガの場合はセガのゲームを基本にすればいいと考えました。ただし、セガのゲームはシューティングゲーム(shooting game)が多かったため、新たな発想が必要でした。そこで、ディズニーを真似たものを作ることにしました。最初に考えたのは、4000平方メートルほどの土地に、色々なアトラクションが入ったパークを作り、レストランを置いたり、イベント広場を作ったりすることでした。

 

その上で、メリーゴーランドを設置したり、入場料を取ったり、飲食店を作ったりすることを基本にしました。これは、ミニディズニーランドを作るという考え方です。この計画を当局に持ち込みました。当局から「それなら子供たちや家族対象だから、風俗営業法対象外にしてもよい」という返答を得ることができ、ここで一つの課題をクリアすることができました。

 

風俗営業法対象から解放されるために頑張りそれが解決したら、次は基本的なコンセプトを見つけることでした。1年以上考えても答えは見つかりませんでした。友人や部下にも色々とアドバイスを求めましたが、結論は出てませんでした。そんな時、空を見上げてふと思いついたのが「宇宙空間を飛ぶ」ことでした。私はワープやワープホールについて知っていました。それは光の速度で宇宙空間を飛ぶという理論です。

 

宇宙は実際には膨張しており、その膨張速度は光よりも速いのです。この理論から考えると、ワープとは宇宙空間を飛ぶことです。これは空想の話ですが、これをベースにしてゲームを考えたら面白いのではないかと思いました。私は部下にこのアイデアを伝えましたところ「面白い!」と言ってくれました。そこで、セガの研究開発グループにもこのアイデアを持ち込みました。

 

ワープホールとは、穴のようなものです。これで宇宙空間を飛び回るようなモノを、テーマパークで作るという考え方になりました。それから、色々なアイデアが生まれてきました。次のストーリーは、若い研究者が考えてくれたものです。ある科学者がワープ装置を作り、その装置が誤作動して色々なことが起こるという物語です。これをベースにして、テーマパークを作ることにしました。この辺りの詳細な説明は省略します。

 

セガテーマパークのネーミングは想像以上に難しいことでした。ジョイポリスという名前は簡単につけられたわけではありません。一般公募では世界中から2万件以上の応募がありました。その中から3000から4000ぐらいに絞り、更に絞り込みました。最終的にジョイポリスとガルボという2つが残りました。この2つから、社長に決めてもらうことにしました。私はジョイポリスよりもガルボの方が好きでした。ガルボはワンワードで、ツーワードのジョイポリスと比べて、1つの言葉になります。それがいいと思っていました。また、私の好みとして、超有名なスウェーデンのグレタ・ガルボという素晴らしい女優がいます。彼女を思い出させるガルボという名前が好きでした。

 

どうやって社長に伝えるかという問題がありました。セガの社長はへそ曲がりで、私がジョイポリスと言うとガルボに決めるでしょうし、ガルボと言ったらジョイポリスを選ぶだろうと思っていました。社長の前で、「2つ選びました。たくさんある中から選ぶのは大変でしたが、この二つから選んでください」と言いました。「どっちでも大丈夫か?」と社長に聞かれ、「はい、大丈夫です」と答えました。そしたら、社長に「川勝君は、どっちがいい?」と聞かれました。

 

私はジョイポリスと言えばガルボになると思っていました。しかし、もしジョイポリスと言ってその通りジョイポリスに決まったら、後悔するかもしれません。迷いましたが、やっぱり本音で言おうと思い、「ガルボの方がいいです」と言いました。しかし、やはり社長は反対の「ジョイポリス」を選びました。慌てて、ジョイポリスはダメだと言っても無駄で、ジョイポリスに決まりました。現存する名前はこうやって決まったわけです。

 

横浜ジョイポリスが最初の店で、これをどこに作るかということで日本全国を調べました。結果、1番いいところは横浜だと判断しました。横浜の新山下町というところに約4000平方メートルの土地にディズニーランドのようなものを作りました。そして、1994年にオープンしました。投資額は70億円で、売上高は30億円、年間100万人の来場者を見込んでいました。実際には、100万人以上の人々が訪れ、予想を超えました。利益が出なかったら、責任をとってくれと社長から言われていましたが、初年度から黒字でした。現在、横浜のジョイポリスは存在しません。理由は、土地を定期借地で10年間借りていたからです。

 

横浜ジョイポリスが成功すると、全国展開のアプローチがありました。その結果、ジョイポリスは最盛期には約500万人の集客がありました。これは、日本で3大テーマパークの1つであることを意味します。1つ目はディズニー、2つ目はユニバーサルスタジオ、そして3つ目がセガのジョイポリスです。

 

私が成功したことを知って、私の元を去った人々が再び訪ねてくるようになりました。それはまさに手のひらを返したようにということです。しかし私は、セガに移ってからも態度を変えずに、私と付き合ってくれた方々大事に、一緒に仕事をし成功を収めました。今日の説明は以上です。

 

セガジョイポリスを成功させた要因として、何がポイントになったのか、何があったから成功したのか、成功させるには何が必要なのか、それから、優れた発想やアイデアだけで物事は成功しない、他の意思決定の問題があるということなど、後半第2部としてお話ししようと思います。それでは、前半第1部としては終わらせていただきます。

 

<後半講話>

夢工学がどのように生まれたかを説明させていただきます。私はアメリカに駐在していた頃から、アメリカンドリームに魅了され、多くの夢に関する本を読みました。成功の秘訣を探求し、夢がどのように実現するのかを研究しました。これを「成否

究」と呼びました。帰国後も研究を続け、その成果を多くの人々に紹介しました。しかし反応は「そんなことは分かっている」とそっけないモノでした。私の成否研究は失敗に終わったということです。

 

のような中で、私の家族に悲劇が襲います。妻に癌が見つかり、3ヶ月後に亡くなりました。小学生と中学生の娘を抱えて苦しみました。本当に辛い時期でした。最も辛かったのは、娘2人が庭で夜空を見上げながら泣いている姿を何度も見たことです。そのために私は拷問を受けるような苦痛を味わい血尿まで出ました。

 

そんな時、ある音楽を聞きました。それはラジオで流れてきた曲で、私は久しぶりにピアノを弾きたくなりました。しかし毎日の辛い生活に思わず涙してしまいました。その時、耳元で「いつまでクヨクヨしているんだ、バカもん!」という声が聞こえたように感じた瞬間、あることを直感しました。聴こえてきた音楽というのは、ディズニーピノキオの「星に願いを」という曲でした。「星に願いをすれば夢が叶います」というメッセージを伝える曲で、それを聞いて成否研究をもう一度読んでみようと思いました。私は三階の屋根裏部屋に駆け込み、放置されていた成否研究の資料を引っ張り出し読み始めました。私はそれを夢中で読みました。どの資料にも、次のようなことが書かれていました。

 

・夢を持ち続けたからこそ、失敗を克服し、夢を叶えることができた。

・夢を捨てずに挑戦し続けたからこそ、悲劇に直面しても、めげずに乗り越えることができた。

・夢は小さくても、成功させることが基本である。

・成功したという小さな経験があれば、より大きな夢に挑戦し、実現することにつながる。

・夢は実現して初めて意味がある。

・失敗は成功の母にはならない。失敗はあくまで失敗である。

・成功させるためには、成功させることを学ばなければならない。

 ・・・

これらのことを読んで、私は「これだ」と思いました。まさしく「夢の発見」をしたと、この時に初めて、私の成否研究がまとまったと感じました。これが夢工学誕生の瞬間でした。

 

「夢の発見」をしたことと、もう1つは、「プロジェクトマネジメント(PM)」というものを考えたということです。それは今から約30年前で、エンジニアリング振興協会が設立された頃のことでした。当時、プロジェクトマネジメントという概念はまだ一般的ではなく、その意味や重要性を理解している人はほとんどいませんでした。

 

PMとは、施主がある目的を実現するための計画を立て、それを基に事業プラットフォームを作り上げるプロセスを指します。例えば、製鉄所や石油工場などを作るよう依頼を受けたエンジニアリング会社が、その計画を元に作業を開始し、事業プラットフォームを完成させるまでの一連の流れをコントロールするのがPMです。

 

しかし、私自身は夢からアイデアを得て、夢を実現するためにはどうすれば良いかと考えると、PMは夢を具体化し計画化する<前段階>から始まるべきと感じました。つまり、最初に夢があり、その夢を具体的な構想に落とし込み、計画を立て、それを実行するための意思決定がなされて、初めてPMが始まるのです。また、事業プラットフォームが完成した後も、そこで運営を行い、利益を出す必要があります。例えば、ラーメン店を開く場合も同じで、店舗が完成しただけではなく、その後の運営で利益を出し、借金を返し、持続可能な経営を行うことが求められます。そうして初めて、夢が成功したと言えるのです。

 

このように、夢の発想から事業の成功までを一貫して考えることの重要性に気づいたのです。その考えを元に「夢工学」を創り上げました。結果的に、「夢工学」は「総合プロジェクト工学(Total Project Engineering)」と言えるものとなりました。

私は夢の研究を行い、PMと組み合わせて「夢工学」という形にすることができました。しかし、まだ満足していませんでした。それは、「本物の夢とは何か」という疑問に対する答えが見つからなかったからです。

 

2年以上の時間をかけて考えたある日、ある曲を聞きました。それは「I want you, I need you, I love you」という歌でした。この歌詞の意味はすべて異なりますが、どれも「あなたが好きだ」という感情を表しています。私はその時、夢に対して恋人に対するような強い感情を持っている人こそが、本当の夢を持っている人だと気づきました。

 

逆に言えば、恋人に自分を振り向かせるためには、ありとあらゆる知恵を出し、命がけで考え、行動します。その結果、汗と涙と血を流すことになりますが、それを喜んで受け入れます。これは好きな人に振り向いてもらうために全力でやったことを思い出せば、誰でも分かるはずです。

 

ここで初めて私は、「本物の夢とは何か」ということが理解できました。本物の夢を持っていない人が、会社を経営したり、事業を行ったりしても、それは形だけのものに過ぎません。

 

次に、私が未だはっきりとは理解できていなかったことがあります。それは、人やお金や技術がいくらあっても、「これがなければ、絶対に成功しない」というものが何なのか、ということです。夢の研究を行い、PMを用いて夢工学の枠組みを作り上げた段階でも、私はこれを納得していませんでした。そのため、私は2-3年かけて様々な資料を調べました。成功と失敗の資料を調べ、「これがなければ絶対に夢は成功しない」というものが何かを見つけるために、一生懸命にデータを集めました。

 

その中でヒントになったことがあります。それはライト兄弟の飛行機開発の話です。ライト兄弟が飛行機を飛ばした時に、同じような目的を持ったチームが他にも存在していました。そのチームにはお金も人も技術も豊富にありましたが、ライト兄弟の方が先に成功しました。もう一つのチームは失敗し、ライト兄弟が空を飛んだことが分かってすぐに解散しました。

 

その物語を読み、ライト兄弟が成功したポイントが何だったのかを調べました。その結果と、先ほどのダンボールの資料の中で語られていたことが一致しました。それは、「本物の夢を持つ、優れた発想をする、優れた行動をする」という3つの要素です。本物の夢を持っている人は優れた発想をし、優れた行動をします。そして、それが夢を実現します。つまり、これら3つの要素はセットになっているということです。

 

私が作り上げた成否研究は、内容が全部間違っていたわけではなく、不完全な部分があったものの、基本的には正しかったということが証明されました。優れた発想と行動をすれば、夢は必ず成功するということです。

 

3つの要素を満たせば事業は成功すると言いましたが、更に立証しなければならないという問題があります。言い換えれば、意思決定の問題があります。本物の夢を持った人物が優れた発想を生み出し、それによって優れた成果を出す。そのことで事業は必ず成功すると思うかもしれません。しかし、実際には、その事業が成功することを誰かが証明しなければ、最終的な意思決定者がその事業の実行を決定することはできません。

 

具体的には、「立証責任」という概念が重要になります。例えば、1800億円のユニバーサルスタジオプロジェクトが失敗した理由を考えてみます。川勝は社長に対して、ユニバーサルスタジオツアーは成功するという証明を提出しました。ユニバーサルスタジオツアーをオープンしたら、実際にどの程度の人々が訪れるかというマーケットリサーチを行いました。この調査には1億円を投じました。その結果、最低でも700万から800万人の人々が訪れるという結論が出ていました。その結果を社長に説明しました。

 

しかし社長は、「これが失敗したら、私は腹を切らねばならぬ(責任を取らなければならない)」と言いました。つまり、社長はその証明を信用しなかったのです。それは、私が十分に説明できなかったからです。私は力を尽くして立証しようとしましたが、立証できませんでした。立証責任とは、立証しなければならない者が立証できなかった時に、受ける不利益を負う責任のことを言います。なぜプロジェクトが失敗したのか、なぜ中止になったのかということは、社長が承認を出さなかったからです。私が立証責任を負って、それを証明できなかったからです。

 

法律上での立証責任を誰に負わされるかは、生死にかかわる重要な問題です。太平洋戦争前の日本では、犯罪の立証責任は個人にも課せられていました。つまり、自分が罪を犯していないことを証明しなければならない状況でした。戦後の日本国憲法では、犯罪の立証責任は全て国が負うことになりました。個人はその責任を負う必要がありません。このことからも、法律上の立証責任の重要性が伺えます。

 

皆さんもご存知の「アリバイ証明」というものがあります。テレビなどで「その時どこにいましたか?」というアリバイの証明を求めることは、法律違反です。警察や刑事がそのようなことを求めることは許されません。自分がどこにいたかを答える必要はありません。自分が無実であることを証明するのは、あなた自身の責任ではないのです。こんなことは憲法違反です。それでも未だにテレビなどで堂々と行われていますが、これは国民の基本的人権を無視する行為です。

 

このようなことは民主主義の国では行われません。中国やロシアや北朝鮮などの非民主主義国では、基本的人権が尊重されないため、証明責任が個人に課せられることがあります。これは暗黒の国の典型例です。戦前の日本でも、多くの冤罪があり、無実の人々が刑に囚われたこともありました。今の中国も同様です。ですから、中国への旅行はあまりお勧めできません。行かない方が良いでしょう。

 

経営における立証責任について、重要な点を申し上げます。かつての川勝も、新日鉄で開発部門の責任者でした。私は1800億円のユニバーサルプロジェクトの成功を証明する責任を負っていると思っていました。私は社長に提案しましたが、社長はただ聞くだけでした。私が1億円以上の資金を使って調査を行いましたが、それでも成功を説得できなかったのです。上司も社長も立証責任を負わなくて、部下にその全責任を負わせることは当然としていることが問題です。どのようなリスクがあるか、成功を証明しなければいけないという点で、部下は追い詰められます。これは日本の企業では一般的なことです。これが当然のように受け入れられていることが不思議です。

 

この問題は、経営の意思決定に関連しています。立証責任を誰が負うかによって、意思決定が大きく変わります。日本の大企業のほとんどの社長は、「お神輿経営」でその成功を立証する責任を自ら負いません。経営における意思決定において、社長も成功の立証責任を連帯して負うべきだというのが私の主張です。この問題は「意思決定論」として極めて重要です。

 

先ほどのセガの事例を挙げますと、社長以外の関係者は皆、私の提案に懐疑的でしたが、社長は私と共に横浜ジョイポリスの成功に向けて考え、立証責任を共有してくれました。もし社長が私だけに立証責任を負わせていたら、ジョイポリスの成功はなかったでしょう。これは決定的な要因です。

私は岐阜県の役人にスカウトされた経験もあります。当時の知事である梶原さんも、セガの社長と同様に私と連帯して立証責任を負ってくれました。その結果、昭和村や水族館などが成功しました。もし私だけが立証責任を負っていたら、成功は難しかったでしょう。

 

要するに、立証責任を誰が負うかによって意思決定が左右されます。社長自身も連帯責任を持つべきだというのが私の主張です。立証責任をどのように追求するか、その覚悟が重要です。そのため、会社が成功するかどうかは、社長が立証責任を部下と共に負うかどうかにかかっています。これが創業者の偉大さであり、社長学の要点です。

 

これが私が後半でお話しようとした内容のすべてです。昔のことを思い出して腹が立ちましたが、セガの社長や岐阜県の知事は偉大であったということです。以上です。

 

 

<質疑>

・私が所属しているのは銀行系では、新規ビジネスに対しては慎重な立場を取っています。そのため、今回のジョイポリスの話が、明確なコンセプト無しに進められたという点が非常に印象的でした。プロジェクトを開始するには、私たちの場合、どのようなリスクが存在し、その対策がどれぐらい準備されているのかを詳細に説明しなければなりません。それがなければ、プロジェクトを進める許可を得ることはできません。セガでは新規ビジネスを始める際のハードルは、一般的な会社よりも低く設定していたのでしょうか。

 

⇒セガでも同様に、新規ビジネスに対しては慎重な立場を取っています。リスクや実現可能性など、さまざまな要素が考慮されます。しかし、セガは新しいことに挑戦しなければ、ゲームセンターとしての将来性はないと考えていました。社長との対話の中で、風俗営業対象のゲームセンターについて話し合いました。社長はそれが面白くないと感じていて、そのために私をスカウトしたのです。

 

ご質問については、新しいテーマパークを作るという考えに対して、全体としては懐疑的な意見が多かったです。リスクや実現可能性についての懸念があり、足を引っ張る意見も多かったです。しかし、セガとしては、既存ビジネスの拡大は見込めないという状況があったため、何か手を打たなければならないという認識がありました。その認識は社長にはありましたが、社員にはなかったのです。なぜなら、ゲームセンターは利益を上げており、風俗営業対象で競合も少ないという状況でした。そのため、全体としては、リスクを冒すことは避けたいという意見が多かったのです。

 

様々な具体的なお話をいただき、大変興味深かったです。一つ気になったこは、ユニバーサルスタジオプロジェクトが突然中止になった理由は何だったのでしょうか。

 

⇒プロジェクトは潰されたのです。要するに、責任を取りたくない人々が逃げ出したということです。私は、そういった人々がいる新日鉄を辞めることにしました。最近、新日鉄はUSスチールを買収しようとしています。しかし、新日鉄は、鉄以外には何も成功させていないというのが私の見解です。これは経営としては落第ですね。

 経営学の哲学者ドラッカーは、「社長は既存事業を成功させ、かつ新規事業も成功させて初めて一人前になる」と言っています。これは当然のことです。私たちも子供を産み、育て、独り立ちさせることで、やっと一人前の人間になるのです。会社も同じです。新規事業をやっていない会社は、半人前です。

 

皆さんの社長も新規事業を立ち上げなければならないということです。トヨタ自動車は、新規事業を一つも成功させていません。元々、トヨタ織機という会社から自動車会社を作ったのです。しかし、その後は新しいものを作っていません。電気自動車は新規事業ではありません。新商品と新規事業は根本的に違います。電気自動車は自動車のプラットフォームをほとんど使っていますから、新規事業とは違います。新規事業とは、例えば、トヨタ自動車がラーメン屋を経営して成功させるような場合に初めて新規事業になります。

 

ですから、新日鉄はユニバーサルを成功させるべきだったのです。そうすれば、今の新日鉄は鉄鋼会社ではなく、デジタルのことを全て把握した会社になっていたと思います。しかし、今の日本の会社でそんな会社はどこにもありません。新しい事業を立ち上げることは使命です。その使命を果たさなければならないのです。そういうことに、夢工学を使ってください。夢工学にこだわる必要はありませんが、それが私のメッセージです。

 

・当初のコンセプトが見つからなかった時の苦労話がありましたが、そのひらめきの瞬間は、どのような視点で、どのように道を切り開いたのでしょうか。

 

⇒ある時、酒を飲んで帰る途中で夜空を見上げたら、アイデアが浮かんできました。それは些細な話ですが、下積みの経験や知識が一気に繋がった瞬間だと思います。みんなで議論していましたし、部下も一緒に考えていました。たくさんのアイデアを出しました。そういうことをやっていたから、頭の中に詰まっていたことが、酒を飲んで夜空を見上げた時に、突然「これだ」と閃いたのではないでしょうか。

 

頭の中に詰め込んだことは記憶に残っています。曲がひらめくような感じで、私は趣味でピアノを弾いたり作曲をしていますが、これも同じです。色々なことをやっているうちに、突然アイデアが出てくるんです。感性的なひらめきや直感を大事にしています。

 

宇宙空間に飛んでいくような話なんて普通だったらバカにされるでしょう。しかし、当時の部下や研究所の人たちに話したら、驚くほど真剣な顔をしていました。彼らも同じように考えていたのではないでしょうか。私だけではなく、みんなが考えてくれました。社長のところに持って行ったら、社長は困った顔をしていましたが、「いいよ、やってみろ」と言ってくれました。

 

・一般的な会社の将来を描く手順は、SWOT分析やクロス分析などから始まると思いますが、、、

 

⇒そういうのも一つの作業としては入っていました。しかし、コンセプトを考える時には、SWOTなどは使っていません。理屈で考えてもダメです。要するに、「こうしたい」「こんなものがあったらいいな」ということで、絵を描くようなことばかりやりました。絵が基本です。ロジカルシンキングなどは忘れた方がいいです。経営計画を立てるときにロジカルに考えてもムダです。何をしたいか、何を作りたいか、何が欲しいか、それが基本です。

 

私はロッテからもセガからも声がかかっていました。どちらに行くかを悩みましたが、セガの方が面白いものをたくさん作っていたので、セガでやりたいと思って決めました。セガに入った時から、夢を実現したいと思って選んだんです。セガの人たちも面白いことに乗ってきました。それはやっぱり、ロッテとは違っていました。その会社の持っている文化でしょう。

 

・新規プロジェクトを立ち上げる際、夢を持つことは非常に重要だと思います。新しいアイデアや機会に取り組むとき、そのプロジェクトを進める上での困難や問題に直面した際に、その突破力となる要素が夢を持つことです。プロジェクトマネジメントの前工程で、夢やビジョンを持つことが重要だと感じました。ただ、後工程についてはまだ具体的にイメージが掴めません。夢工学の中で、前段階と後段階があることは理解しましたが、後工程について詳細が分かりません。

 

⇒後工程は、事業の運営(Operation Management)を指します。つまり、組織を運営し、様々な業務やオペレーションを行うことを指します。普通、プロジェクトが完了し、その後の運営段階に入ると、夢やビジョンの有無が大きな違いを生むことがあります。具体的な例として、ラーメン屋を開くという夢を持った人が、ラーメン店を開業し、オペレーションを始めると、夢が実現したと言えます。そして、店舗が運営され、顧客が定着し、リピーターが増えてくると、ようやく成功と言えるでしょう。

 

成功の3つの原則は、ラーメン屋がオペレーションを始めた時点でも重要です。プロジェクトマネジメントの段階同様、工場や施設を建設する段階でも問題が生じることがありますが、それらを解決するために先ほどのアイデアを出して改善していく必要があります。つまり、すべての段階で成功の原則が必要です。物事を最初から最後まで「一気通貫」で考えることが重要だと言っています。

 

・PMとは期間限定と思っているので、<後工程>というオペレーション業務の、どこを切り取って成功というのかが良く分かりません。

 

⇒それは当然だと思います。プロジェクトによって決まります。あるPMは1年で終わる場合もあれば、もっと長い場合もありますし、それからプラットフォームが出来上がって、オペレーションを開始して成功するまでの間が1年で済むこともあるし、5年かかる場合もある。それは色々です。その間はオペレーションとしてやり続けなければならない期間です。

 

PMで完成した時点というのは、プラットフォームが出来上がった時点です。それが夢が実現した時点です。それから、成功するまでの期間というのがあるわけです。この間はオペレーションです。オペレーションについては、たくさんの組織論とか生産管理論とか色々あります。そういうものをこの中に埋め込んでいけばいいということです。その間もプロジェクトとして運営するという考え方ですから、単にオペレーションとして捉えていないんです。そこがちょっと分かりにくいかもしれません。

 

・会社の中で新規事業とかいう時に、あんまり個人の夢とか考えたことがありませんでした。会社のアセットを使って、できる範囲やれる範囲とか、会社の方針とかに沿って開発する、そんなイメージです。夢というのがやっぱり、仕事上ではなかなか話題にならないなと思って聞いてました。仰っていることは分かるんですけれども、そういうシーンが無いなと思っています。

 

⇒私は夢を定義していないです。色々解釈があって、それは本人が決めることという考え方と、それから個人の夢というのと会社の夢いうのは違うという風に考えています。個人の夢、家族の夢、社会の夢、国の夢、そういう段階あると思いますけども、基本的に、やりたいこと、好きなことですよね。

 

・夢と言われると、目標とも違うのかなと思ったり、事業目標とかとも全然違うんだろうなと思って、なかなかぴったり夢という言葉が当てはまるシーンが無いなと思ってました。

 

⇒それは解釈が必要です。目標って言った時に、その中に色々中身があります。非常に高い目標と低い目標と中間の目標と色々あって、それに対して個人が持っている情熱とか、恋人みたいな気持ちとか、やってみたいとか、作ってみたいとか、作り上げたいとか、それらを私は抽象的にということで概念化している、そういう意味にとっていただきたいんです。

 

・今の説明は納得がいきました。夢、つまりドリームというものは、夜中に見るものではないということですね。それぞれが夢を定義することができる、それを理解しました。そうすると、は仕事の中の理論に繋がりますね。

 

⇒今日の立証責任問題については、一度考えてみてください。法律の世界でははっきりしていますが、経営の世界では非常に曖昧です。社長は最終判断をすべきですが、その判断に伴う立証責任まで問われることはありません。事業が成功するかどうかの説明は、社長ではなく事業の責任者です。社長はそれを基に判断をするという考え方です。

 

しかし、立証責任という考え方から言って、それで良いのかという疑問があります。社長も立証責任を持つべきと思います。社長が説明を聞いて「イエス」か「ノー」の判断をするだけでは充分ではありません。ダメだと思います。立証責任を誰に求めるかということを考えるべきです。

 

・社長がイエスと判断をしたということは、判断に対して責任を持ったことなので、自動的に立証責任とか連帯責任も負っていることになるのではないですか?

 

イエスと言った場合はそうですね、だけど、部下が立証的責任を負っていれば、イエスもノーも言わなくて、意思決定から逃げることもできます。最初からこれをやれと決める場合は、立証責任ではなく、実行責任のみを負わせているわけです。結果に対しての立証責任を部下のみに負わせるなら社長は楽です。これは経営の意思決定論の問題です。

 

これを経営学者がなぜ本気に議論しないのか不思議に思います。だから、大会社の社長は手抜きができ楽です。しかし中小企業の社長はそうはいきません。私はコンサルやっていまが、中小企業の社長は部下に立証責任を負わせたりはしていません。自分も一緒になって考えています。アメリカの社長と日本の社長の違いは、アメリカの社長は絶対に逃げないということです。自分から提案を出さなければ、株主は黙っていません。日本が低迷しているのは、大会社の社長が立証責任を負わずに、経営の意思決定から逃げているからといえます。

 

・テーマが壮大すぎて、日々の活動との結びつきがすぐには見えないです。でも、強い夢や発想、発汗とか、その3つというのは、なんとなく分かる気がします。自分がそこまでやりたい、実現したいと思ってることが何だろうかを、考えるきっかけにはなりました。感想です。

 

⇒これまで12回、こういったサロンを行ってきました。それを一気に理解するのはなかなか難しいかもしれませんが、後ほどお送りする議事録と付き合わせて、理解を深めていただければなと思っております。

夢を追う人を支援する、人材育成も含めて、PMがその支援をどうできるかといったことを、1つのテーマとして、夢工学を追求しています。これまでは、川勝さんの経験をベースに、事例把握をやってきましたが、今後はこれを整理して、実践力のトレーニングコースに繋がるようなものにしたいと考えています。(事務局)

 

                                                       以上