「第13回夢工学サロン-2024/6/27」
<事前配布資料>
「夢工学/DEC思考を具体的にどういう風にやっていくのか?」 「実践するには訓練が必要とのことだがどの様なことか?」という意見がありますので、改めて川勝さんに、実践編として「成功と失敗の5大事業プロジェクト」についてお話を伺うことにしました。
1.新日鐡・MCA ユニバーサル・スタジオ PJT(1878−1879年)<終了>
2.セガ・ジョイポリスの第1号館&全国多館展開 PJT(1992−1995年)<終了>
3.岐阜県世界淡水魚リアル&バーチャル水族館 PJT(1995−1999年)<その6>
4.岐阜県・昭和村 PJT(1999−2003年)
5.新潟県・大型太陽光発電所 PJT(2005−2011年)
今回は<その6>として、「3.岐阜県世界淡水魚リアル & バーチャル水族館 PJT」 について伺います。
これらの実践の中から、「夢工学/DEC思考」の基本コンセプトや発想の方法論などの殆どが生まれましたので、誕生のストーリーを知ると共に実践的な全体像を把握することができると思います。
「3.岐阜県世界淡水魚リアル & バーチャル水族館 PJT」 <その6>
<川勝さん講話>
今日お話しするのは第6部になります
私は岐阜県の理事を務めていました。約10年間、経常的な仕事とプロジェクトの両方を公務員として行ってきました。
大学を卒業して最初に就職したのは富士製鐵(株)という会社でした。その後、富士製鐵と八幡製鉄が合併して新日本製鉄になりました。その新日鉄で、ユニバーサルスタジオツアーというプロジェクトを手がけました。ご存知と思いますが、大阪にあるハリーポッターで有名なテーマパークです。あれを日本で初めて手がけたのは私です。
映画監督の黒澤明さんが、MCA社から依頼を受け、日本にユニバーサルスタジオを作りたいと、東急電鉄に話を持ち込みました。しかし東急電鉄は提案を断りました。東武鉄道や西武鉄道にもアプローチしましたが、全て断られました。困り果てた黒澤さんを、三井物産が手助けし、新日鉄を紹介しました。そして新日鉄はその提案を受けました。
ある日社長室に呼ばれ、黒いメガネをかけた黒澤さんを紹介されました。そして「黒澤さんのユニバーサルスタジオツアーの仕事を、この川勝に担当させます」ということになり、私が手掛けることになりました。
ユニバーサルスタジオツアーを行ことになり、徹底的に議論しました。当初、場所は千葉県君津市の予定でしたが、私は反対しました。社長やMCAの社長は「東京に近いところに作らなければ失敗する」という意見でした。私は東京に近い場所は問題があると考えていました。理由は既にディズニーランドがあるからです。当時、ディズニーランドの拡張計画が進んでいました。東京湾横断道路には鉄道がなく、千葉まで行くのは大変でした。そのため、君津に作ったら失敗すると主張しました。そのことで一時、私は首になりかけました。
お伝えしたいことは、PMで最も重要なことは、新しいプロジェクトを発想し且つ創り上げることです。プロジェクトを創るためには何が必要か、そのプロジェクトを成功させるためにはどうすれば良いのかを、徹底体的に理解することが欠かせません。これらが無ければ、プロジェクトマネジメントとしての意味はありません。
私はプロジェクトの立地についての提案をしました。堺市には約30万坪の新日鉄の埋立地があり、そこにプロジェクトを造るべきと主張しました。大反対にあいましたが、それでも諦めずにMCAの社長を説得し、最終的には大阪でプロジェクトを造ることが決まりました。しかし、諸般の事情で、このプロジェクトは途中で中止されてしまいました。
この結果に失望した私は、ヘッドハンティングでセガに移り、そこでジョイポリスを成功させました。ここからが本日の話になります。ある日突然、セガ本社のデスクに電話がかかってきました。「川勝さんですか?当方の知事があなたに会いたがっているので、ぜひ会ってほしい」と言われました。
そこで私は岐阜県に行き、梶原知事に会いました。色々と話をしている中で、知事が「自分は岐阜県をもっと立派な県にしたい。地方活性化を進めたいので力になってほしい」「岐阜県に月面都市のテーマパークを作りたい」と言い出しました。最初は冗談だと思ったのですが、実は本気でした。知事の熱意を感じ、最終的には私も岐阜県の役人になる事を決意しました。
地方公務員試験を受け、必死に勉強して、合格しました。そして、県の三役(知事、副知事、理事)の一人となり、部局長を含む数千人が私の部下になりました。勤め先は岐阜県庁で、そこで約10年間働きました。また、永田町にある都道府県会館にもオフィスを持っていました。
私は官僚として働きましたが、よくある「天下り」ではなく、「天上がり」と呼ばれる逆のケースでした。つまり、民間人が突然県の要職に就くという珍しいケースで、他県でも戦後初めてのことでした。「天上がり」」の場合は、給与は半分以下に減るのでほとんどの人が選択しないということも分かりました。
セガの社長に退職願いをしたとき、本当の理由は伏せて、妻の実家の会社を引き継ぐためと言いました。社長は退職を許さず、逆に昇格させる、兼職させる、休職させると云う慰留提案をしてきました。それでも私は固辞し、最終的にセガを退職しました。
外資系のヘッドハント会社からヘッドハントされたとき、Life FishとDead Fishという言葉を教えてもらいました。転職する際には「ライフ・フィッシュ(life fish=生きた魚)」のまま転職行動をすることが重要だということです。現在の職を持ちながら新しい職を見つけることが重要です。辞めた後は「デッドフィッシュ(dead fish=死んだ魚)」ということで、ヘッドハンターは興味を持ちません。首になったと判断するからです。ヘッドハンターは在職中の人材を引き抜くことが仕事です。辞めてからでは、その対象にもならないということです。従って在職中の身で新しい職を見つけることが成功の鍵です。
セガの中山社長は岐阜県の出身ということが分かりました。ご実家が岐阜県の高山なんです。私が岐阜県の理事になる行動をしていると分かったら、絶対に潰されます。理事になったと分かったら、知事は訴えられます。官が民を圧迫すると、大問題になります。従って、私の理事就任は超極秘で、暫くは透明人間扱いでした。辞令は貰っていましたが、それは伏せられ、存在しない者として扱われました。こんな大変な思いをして、理事になった訳です。
セガの社長には反対されましたが、最終的にはセガを辞める事が出来ました。実は、セガの社長は退職金を出してくれました。私はセガに3年しかいなかったので、本当は退職金は出ないはずなんですけど、それでも出してくれました。ありがたいことだと思いました。
透明人間として、10ヶ月ぐらい東京事務所に勤務した後、普通の状態に戻る事が出来ました。理事に就任していたことも、正式に新聞やテレビ、メディアに公開されました。そのアナウンスに先立って、副知事がセガの社長を訪ね、川勝を岐阜県の理事にスカウトした報告とお詫びを入れました。
セガの社長は私が嘘をついて辞めたことは分かっていましたが、一切文句を言わずに、受け入れてくれました。私は今もセガに足を向けて寝れない気持ちを持っています。代わりに、私はその後頑張り、セガに新事業プロジェクトの機会を与え、お返ししました。
ここから先は参考までですが、転職というものがどういう影響を生むかをお話します。私が新日鉄からセガに移った時に、私の周りからは多くの人が去っていきました。なぜなら、セガという会社は、当時はゲームセンターの会社で、そのゲームセンターは不良のたまり場でした。そんな会社に行くのか、バカじゃないかと言われました。取引先の人や銀行、商社の人、みんな離れていきました。
しかし、セガに入ってジョイポリスが成功したら、みんな手のひらを返すように戻ってきました。新聞等で報道されると、有名な学者や評論家もどんどん訪ねて来ました。彼らは実に巧妙です。それと気が付かせない見事な「ゴマすり」、「へコへコ」、「ソンタク」をやりました。ごまかしているという意識もないです。皆さんも、偉くなられたら是非とも気をつけてください。
セガに移ったとき、私は孤立無縁で四面楚歌に悩みました。模型を作るための資金や市場調査を行うための資金など、何もありませんでした。模型は自分と部下で、紙で手作りしました。ジョイポリスプロジェクトは、最初は風俗営業法の対象と言われました。そのため、どのようなテーマパークを作るべきかに悩みました。如何なるプロジェクトを創るか? ゼロからプロジェクトを創り出すことから始まりました。
岐阜県庁に移ったときも、孤立無縁と四面楚歌及び法的問題があるのではないかと覚悟してました。しかし、実際にはそのような問題はありませんでした。これは、私が知事にスカウトされ、公務員試験を通過して、正規の役員になっていたからです。セガ時代に風俗営業法という法的問題に悩まされたときは、民間人として法律を遵守する立場でしたが、岐阜県庁では、公務員として、法律を変える、法律を運用する立場に代わりました。
岐阜県での仕事は、経常的な仕事と事業プロジェクトでした。事業プロジェクトを始めるとき、最も困難だったのは、プロジェクトの基本コンセプトを創ることでした。新しいプロジェクトを作るとき、どのようなものを作ればいいのかは分からないのです。その問題を乗り越え、多くのプロジェクトを創り出すことができました。
これらの経験から、私は多くのことを学びました。PMでは、プロジェクトを創ることが一番大事で、ゼロから創る出すことから始まります。今後も、これらの経験を活かして、より良いプロジェクトを創り出していきたいと思います。
県庁では「報連相」があまり行われていなかったので、「報連相をやろう」と提案し、知事と副知事の了承を得て定着させました。しかし、知事に提案する前に部局長と相談する必要があり、知事がどのような命令を下すか分からないため、部局長たちは「魔の報連相だ」と怖がっていました。
県庁や市役所では、知事や市長の権限が非常に強く、人事権、政策決定権、予算権を持っています。一方、部局長は弱い立場にあります。知事は選挙で選ばれるため、大きな権限を持ち、その決定は非常に影響力があります。
私が知事から頼まれたことは、何といっても事業開発です。岐阜県に新しい事業を興し、それが産業になり、岐阜県の経済になる、いわゆる経済振興です。事業振興、産業振興、経済振興を達成することが一番期待されていました。
どんなことをやるにも資金が必要になります。そのため事業振興で、多くの会社が利益を上げ、そこから税収が増えることと、会社が発展することによって、地元の経済が潤い、雇用の機会が生まれるということです。なんとしてもそれをやってほしいと知事に頼まれました。
知事と相談して、核になるプロジェクトを立ち上げ、それを基にして、地元の経済を振興することを考えました。これは田中角栄の列島改造論と同じで、基本となるのは国家プロジェクトです。日本がなぜこの30年間でダメになったかというと、理由は財政支援がなかったからです。国家戦略として、もっと公共投資をやれば良かったのです。岐阜県でも岐阜県戦略をやっていこうということで頑張りました。
私が個人的に考える日本がこれから取り組むべき3つの事業戦略は以下の通りです。
・核融合発電事業:
これは日本が相当良い戦略を持っていると思います。これはかなり良いレベルにまで来ています。いずれ核融合で電気が生まれる時代が来ます。核融合発電というのは、海の水素を使って太陽のような発電を地上で行うものです。これを日本で実現できないかということです。原料は海の水ですから、無限にあるわけです。核融合で電気が生まれたら、電気代はゼロになります。
・天然資源の開発:
日本海にはたくさんの天然資源があります。皆さんがご存知かどうかは分かりませんが、石油もあればレアメタルもあれば何でもあるんです。これをもっと日本のメディアが騒ぐべきと思います。これらの天然資源を掘り出して活用することです。
・超ロボット開発::
今のPMなどはあと10年も持つか分かりません。みんな失業します。もう人間はいりません。全部ロボットでできるようになります。それから今少子高齢化と言われていますが、それでも発展している国は全部ロボットでやっています。ロボットがこれからを支配すると思います。
私のコンサルタント経験は、岐阜県で10年間、その後、新潟県の役人として5年間、合計15年間、地元企業を支援指導してきました。この支援活動の中で、多くの困難に直面しましたが、最も頼れる重要な要素は「夢工学」でした。地元企業の人々にこの知識を広めることで、彼らの問題を解決する手助けをしてきました。
既にご存知の方もいるかもしれませんが、夢工学の核となるのは以下の3つです。
1.未来仮説設定と現在強制実現法:
映画「Back To The Future」をご存知でしょうか。この映画では主人公が過去に戻り、未来としての現在に帰ってきます。逆に夢工学は、未来に飛んで、その未来から現在に戻るという方法「Back To The Present」を取ります。未来にやりたいことを具体的に描き、それを実現する方法を現在で探すという考え方です。
2. 絶対的成功の3つの要因:
・本物の夢を持つこと:本当の夢や目標を持つことが重要です。これは企業理念や個人の目標など、何でも構いません。その夢を実現したいという強い意志が必要です。
・優れた発想をすること:問題解決のためには新しいアイデアが必要です。例えば、組織の問題を解決するための新しい発想や工夫が重要です。
・優れた発汗(行動)をすること:実行に移すことが大切です。優れた発想を持った人は、自ら行動し、努力を惜しみません。
3. 具体的な未来のビジョンを描くこと:
映画制作のように、具体的な未来のビジョンを描くこと、未来のビジョンを具体的に描くことが重要です。細部にわたるシナリオを作り、そのシナリオに基づいて行動することで、プロジェクトの成功率を高めます。この方法を実践することで、効率的に未来の目標を達成することができます。未来に飛び、ビジョンを具体的に描き、現在に戻ってそれを実現する方法を探る。このプロセスが夢工学の核心です。
現在もコンサルタントとして、日本および海外の企業の支援・指導を行っています。私のコンサルティングのスタイルは、欲しがる「魚(アイデア)」は与えません。その代わり、欲しい魚を獲得できる「魚の釣り方」を教え、本人(社長&社員)のに釣らせます。釣れなくて男泣きする人もいます。
私も経営支援指導中に「優れた魚」に気が付く事が多いが、「我慢に我慢」をして教えません。一方、苦心惨憺して或る日、本人は「優れた発想」の魚を釣ります。釣った本人は、自分に感激・感動します。そして「汗と涙と血」を流す事を厭わず、喜んで「優れた発汗(行動)」をします。その結果、必然的に優れた発想の「魚の事業」は実現し、成功します。そしてその会社で、釣り方が定着し、多くの企業人が欲しい魚を自社で釣れる様になれば、私は自発的に経営顧問アドバイザーの職を辞めます。
本当はピアノ演奏や作曲をやりたいので、できるだけ早く釣り方を教えてコンサルタントの仕事を辞め、大好きな音楽の仕事に専念したいと考えています。
岐阜県でこれまで手がけたプロジェクトは「JR岐阜駅のグランドセントラルターミナルプロジェクト」、「バーチャル&リアル水族館プロジェクト」、「昭和村プロジェクト」、「レゴランドのプロジェクト」、そして「岐阜県の街づくりプロジェクト」などがあります。
「岐阜駅グランドセントラルターミナルプロジェクト」についてお話しします。これはJR東海、中部日本旅客鉄道株式会社が進める岐阜駅の改造計画です。私は「ニューヨークのグランドセントラルターミナル」の基本構想を取り入れ、岐阜駅とその周辺を一体的に開発する提案を知事にしました。知事はこれを気に入り、プロジェクトが進行することになりました。
ニューヨークのグランドセントラルターミナルをご存知の方もいるかもしれませんが、これはマンハッタンの中心にある駅で、19世紀に作られた立派な建物です。現在は170本もの線路があります。東京駅の地下には約30本のホームしかありません。岐阜駅でも同様の大規模な開発を計画しました。高架下に様々な施設を設置し、商業施設や飲食店、公共施設、ホテル、エンターテイメント施設を含む一体的な開発を目指しました。例えば、岐阜駅の周辺には柳瀬地区があり、ここも開発計画に含まれていました。さらに名鉄岐阜駅周辺の開発も連動させました。
しかし、最終的にJR東海からプロジェクトの中止を要請されました。岐阜駅での大規模開発が名古屋駅の開発と競合することを懸念していたようです。これにより、岐阜駅の開発は部分的には実現しましたが、全面的な成功には至りませんでした。現在の岐阜駅はベッドタウンとしての機能にとどまっていますが、それでも一部の開発は成功しています。以上が岐阜駅グランドセントラルターミナルプロジェクトの概要です。
次は「バーチャル&リアル水族館プロジェクト」についてお話しします。知事が木曽川沿いの河川公園で新しい地域活性化を図るためにエンターテインメント施設を作れないかと相談してきました。最初、エンターテインメント施設は無理だと思いましたが、川や魚をテーマにした施設なら可能だと言ってしまいました。すると知事が「それは良いアイデアだ」と、淡水魚の水族館を考えてほしいと言い出しました。マズイ事を云ったと少し後悔しました。
日本や海外には多くの水族館がありますが、淡水魚だけの水族館は少ないです。淡水魚は海水魚に比べて小さく、色も地味で迫力がないため、普通の水族館では人気がありません。そこで私は多くの専門家や学者に相談し、淡水魚に関する情報を集めました。しかし、いくら考えても良いアイデアは出てきませんでした。
数ヶ月後に、偶然手にした資料で、地球の陸地が数億年前に1つの大陸だったことを知りました。この大陸が分離して現在の5つの大陸になったという事実から、淡水魚の進化と大陸の分離をテーマにした水族館を作るアイデアを思いつきました。
このコンセプトはオリジナルで、誰もやっていないものです。大陸の分離とそれに伴う淡水魚の進化を描くことで、興味深い物語を作り上げることができると考えました。そして、セガと協力し、水族館を作るプロジェクトが立ち上がりました。岐阜県とセガは深い協力関係を結び、最終的に岐阜県が資金を提供してプロジェクトを進めることになりました。このプロジェクトには多くの困難がありましたが、成功に向けて取り組みました。
この水族館の施設の入り口部分をセガに作ってもらいました。水族館の建物自体は県と国の予算で作り、中の運営は民間が担当する形で進めました。次に、セガにバーチャル淡水魚水族館を作ってもらいました。大スクリーンを設置して、食事を楽しみながら淡水魚の映像を見られるようにしました。このシステムの中で、セガが飲食の注文を、PC画面で行う仕組みを開発しました。それが現在、我々が飲食店で使っている画面操作注文システムです。
その後、色々な施設が整備され、観覧車なども作られました。水族館自体は4階建ての建物で、現在も運営されています。しかし私が考えたコンセプトの水族館ではありません。その一部だけが実現されただけで、私としては完全に満足していません。今後も、同水族館を大陸移動と淡水魚進化の歴史絵巻の「オリジナル・基本コンセプト」に基づいて開発すれば、世界一の水族館にすることも可能だと思います。説明は以上です。
<質疑>
・「岐阜駅グランドセントラルターミナルプロジェクト」についての感想ですが、折角、このような全体計画があったのなら実現すれば良かったのにと思います。今、柳ヶ瀬は寂しい街になってしまいましたが、先ほどの写真のように、岐阜駅から地下に降りずにスムーズに街中に出られるのは良いと思います。これが柳ヶ瀬まで続いていたら、名鉄の駅まで行けたら、もっと発展していたでしょうね。私が高校や中学の頃は、名鉄とJRがライバルのような感じでしたが、今では名鉄の周りは寂しくなってしまいました。これが実現していたら良かったのにと思います。
⇒その通りです。これが実現していたら、名古屋からも人が来るし、岡崎からも人が来るでしょう。岐阜が一つの自慢できる街になっていたと思います。名古屋駅にライバル心を持っていた訳ではないですが、JR東海としては、名古屋駅の発展を優先したいので、岐阜駅のことは後回しにしたのかもしれません。知事も残念がっていましたが、どうすることもできませんでした。
・岐阜駅の開発について、当時の夢の部分を教えていただけますか? どんなイメージを持っていたのか聞きたいです。
⇒岐阜が廃れていることに悩んでいました。駅の周辺は夜になると真っ暗でした。そこで、ニューヨークに駐在していた時のグランドセントラル駅を思い出しました。駅と街のエンターテイメントが上手く繋げた構想を、岐阜駅でも同じことができるのではないかと考えました。
・語り口がとても分かりやすくて、聞き入ってしまいました。当初の計画が最後まで完成しなかったことが悔やまれます。これまでいろんな経験をされていると思いますが、今日のお話の中で特に印象に残ったのは、「0から1を生み出すことの大変さ」です。途中で諦めそうになったこともあったとのことですが、粘っていれば必ず結果が出るものなのでしょうか?それとも、どうしても結果が出ないこともあったのでしょうか?
⇒私の経験では、粘って、待って、最後まで結果が出なかったということはありません。いつ結果が出るかは分からないんですが、、、今もコンサルをやっていますが、クライアントに考えさせながら、私も一緒に考え、7割は成功しています。成功していない3割は、まだ思いついていないだけです。だから、最終的には必ず結果が出ると考えています。
・つまり、粘り強く考え続けることが重要なんですね。
⇒そうです。夢を持ち続け、努力を続ければ必ず結果が出るという信念を持ってください。思いついたら全力で取り組むことで実現可能になります。
・ありがとうございます。川勝さんのお言葉を信じて、今後も粘り強く取り組んでいきます。何かあれば相談させてください。
・お話を聞いて、「0→1」をやることの重要性を改めて感じました。私も積極的に挑戦していきたいと思います。「0→1」を始めるにあたって、具体的なアドバイスがあれば教えて頂けませんか?
⇒トレーニングは2つあります。1つは理論です。理論なき実践は無謀であり、実践なき理論は空虚です。理論と実践の両方が必要です。発想法をマスターすることで、実践の中でトレーニングを積むことができます。例えば、KJ法やデザイン思考などを勉強することをお勧めします。特に、デザイン思考とデック思考の2つをマスターすることで、より効果的な発想法が身につくでしょう。
・承知しました。デザイン思考とデック思考をマスターしてみます。また、川勝さんの研修にも参加したいと思います。
⇒是非とも。今後の実践コースにも参加して、具体的なトレーニングを積んでいきましょう。お待ちしています。
・川勝さんがプロの作曲家であることを初めて知りました。それに興味を惹かれました。
⇒ピアノやジャズに関する発想も同じように、トレーニングによって発想力が身につくのです。是非とも実践を積んでみてください。
以上