「第14回夢工学サロン-2024/8/22」
<事前配布資料>
「夢工学/DEC思考を具体的にどういう風にやっていくのか?」 「実践するには訓練が必要とのことだがどの様なことか?」という意見がありますので、改めて川勝さんに、実践編として「成功と失敗の5大事業プロジェクト」についてお話を伺うことにしました。
1.新日鐡・MCA ユニバーサル・スタジオ PJT(1878−1879年)<終了>
2.セガ・ジョイポリスの第1号館&全国多館展開 PJT(1992−1995年)<終了>
3.岐阜県世界淡水魚リアル&バーチャル水族館 PJT(1995−1999年)<終了>
4.岐阜県・昭和村 PJT(1999−2003年)<その7>
5.新潟県・大型太陽光発電所 PJT(2005−2011年)
今回は<その7>として、「4.岐阜県・昭和村 / 岐阜羽島都市開発、レゴランド PJT」 について伺います。
これらの実践の中から、「夢工学/DEC思考」の基本コンセプトや発想の方法論などの殆どが生まれましたので、誕生のストーリーを知ると共に実践的な全体像を把握することができると思います。
「4.岐阜県・昭和村 / 岐阜羽島都市開発、レゴランド PJT」 <その7>
<川勝さん講話>
私は現在、経営顧問として活動しており、会社に出向いて指導を行っています。そのためとても忙しく、趣味として楽しんでいたジャズ演奏をする時間が全く取れず、少しイライラしています。
会社の立て直しは、実はそれほど難しいことではありません。というのも、傾いている会社は大抵、やるべきことをしていなかったり、やってはいけないことをしているからです。やるべきことをしっかりやり、やってはいけないことを止めれば、会社の状況は良くなります。
一方で、新規事業を立ち上げるのは非常に難しいことです。儲かっている会社が新しい事業を始める際は、すでにやるべきことをきちんと行い、やってはいけないことは避けています。そのため、重要なのは新しいアイデアをどう引き出すかです。
今日も何度か電話があり、議論に行き詰まったのでどうすればいいかと相談されました。ですが、簡単に答えを教えてしまうと、自分で考える力を身に付けられず、効果が薄れてしまいます。そこで私は、彼らには自分で考えるよう促しています。自分で考えることこそが成長の鍵です。事前に「欲しい魚は与えませんよ」と伝えているのですが、やはり解決策を求めてきます。このように、相談が絶えないため忙しくしています。
今日お話しするのは、昭和村、岐阜羽島開発、そしてレゴランドに関する3つのプロジェクトです。
まずは、昭和村プロジェクトについてです。これは私が岐阜県の理事をしていた時の話です。
当時の梶原知事から『川勝さん、昭和村を作ってくれ』と突然依頼がありました。愛知県には明治村、岐阜県には大正村があり、昭和村も作るようにということでした。
水族館を成功させた経験があったので、昭和村も簡単だと思いましたが、それが大きな間違いでした。昭和というテーマは非常に難しく、特に太平洋戦争の時代をどう扱うかで悩みました。戦争をテーマにしても人が来ないだろうと思い、コンセプトが全く浮かびませんでした。
毎日ため息をつき、イライラし、夜も眠れない状態が続きました。東京事務所や岐阜県庁の理事室で考えてもアイデアが出ず、設計会社やコンサルタントと話し合いを重ねましたが、解決策は見つかりませんでした。
寝不足で理事室で居眠りしてしまうこともありました。ある日、ふと目を覚ました時に、計画地の図面を見て、岐阜県の地図と似ていることに気づきました。そして、昭和の栄えた時代を地域ごとに再現するというアイデアがひらめきました。特に戦後の繊維産業や柳ヶ瀬の繁華街の様子を取り入れることにしました。
テーマパークの設計には『川勝式の秘伝』を活用しました。当初の設計では、入り口が4つありましたが、私は『入り口は1箇所にする』と主張しました。これはディズニーランドなどでも使われる手法で、お客さんをパーク内に長く滞在させるための戦略です。
園内には汽車やバスを走らせ、訪問者が楽しめる工夫も考えていました。しかし、現在の昭和村は当初の計画とは違い、見どころが少なくなっています。詳細は後ほどお話しします。
最初に昭和村の北側についてです。岐阜県の北部は山林が多く、昭和村の北部も同様に山の雰囲気を再現しました。製材所の内部を再現したり、ゲームが体験できる施設も設置しました。私が最も力を入れたのは木製のジェットコースターです。山中を走るように設計し、さらに子供たちが楽しめる動物広場も作る予定でした。
次に昭和村の中央部です。岐阜県の農村地帯にあるため、昭和村でも田舎の風景を取り入れました。実際に完成したのはこの中央部のみで、私がデザインした田園風景が現地に再現されています。
最後に昭和村の南部についてです。岐阜県の南部は都市地域なので、柳ヶ瀬の商店街を再現し、ストリップ劇場も計画しました。知事や副知事は賛成していましたが、一部の部局長が反対しました。これは今から20年以上前の話ですが、こうした施設があれば多くの人が訪れたと思います。
結果的に完成したのは中央部だけで、ジェットコースターや子供向け施設は実現しませんでした。もし私の計画通りに完成していれば、もっと多くの観光客を引き寄せたでしょう。
『諸般の事情(公開不可)』で、昭和村は中央部に限っての計画しか実現していません。最も価値のある北部と南部の計画は進んでいません。昭和村の集客が落ち、経営が危機に陥ることがあれば、基本コンセプトに立ち戻ることで再生できると思います。
実は、昭和村を作る際にウォルト・ディズニー社に協力を依頼しようと考え、アメリカまで出向き、社長のジム・コーラ氏と直接交渉しました。その場で彼に「ディズニーは飽きられるかもしれないよ」と伝えました。私は以前、ユニバーサルスタジオツアーを担当しており、ディズニーは子供向けで迫力がないと感じていたからです。
会議が終わった後、ジム・コーラから「ディズニーで働いてくれないか」と驚く提案がありました。東京に第2のディズニーランドを建設する計画があり、その総監督を頼まれました。また、上海などアジアでのディズニーランド建設の総括も依頼されました。
しかし、当時私は岐阜県の理事に就任したばかりであり、知事からのスカウトでもあったため、ディズニーのオファーを断ることにしました。その後、ジム・コーラ氏とのやり取りは続きましたが、それはまた別の話です。
次は岐阜羽島都市開発です。
ご存じかもしれませんが、岐阜羽島駅には大野伴睦さんの銅像があります。私も時々羽島駅で降りて、役所の車で岐阜県庁に向かうのですが、その際いつもこの銅像を目にします。
しかし、銅像は錆びて汚れ、町全体もどこか寂れている印象でした。羽島駅自体は立派なのに、周辺の町は全く開発されず、銅像だけが残っているように見えました。このままではまずいのではないかと思ったのです。
大野伴睦さんが書かれた本を読むと、彼は夢を持った人物であることがよく分かります。そこで私は知事に「駅周辺をこのまま放っておくのは良くない。何とかしませんか」と提案しました。知事も「その通りだ。何とかしよう」と同意してくれました。
私は「都市開発を行えば良いのではないですか」と提案しました。東京や九州でも実施されていましたし、私自身も新日鉄時代に博多の開発に携わった経験がありました。
そこで、羽島駅周辺の開発を提案したところ、知事は大喜びで「ぜひ頼む」と言ってくれました。それで大規模な開発プロジェクトを始めることになったのです。
「羽島ハイランドシティ」という名前を付けて、広大な土地の開発に着手しました。当時は約20数万坪の田畑しかなかった土地ですが、今では家が建ち並んでいます。当時は原っぱだらけでしたが、どう開発するかを模索しながら進めました。
こちらは当時の周辺の航空写真です。羽島駅が見えますが、周りに何もなく、ほとんどが畑でした。この広大な土地を一気に開発するにはどうすれば良いかが課題でした。
私は以前アメリカに住んでいたこともあり、大規模開発には商業施設の誘致が効果的だと考えていました。都市開発には、ガーデンシティ理論や放射線環状都市理論など様々な理論がありますが、私はこれらを理解していたので、民間企業を誘致して開発を進めようと考えました。
広大な土地を開発するためには、民間企業の協力が不可欠です。特に、リーダーとなる企業を見つけることが重要だと感じ、多くの企画書を作り、エンターテイメントを核としたテーマパークや商業施設を提案しました。結果、AMI(アメリカンモールインターナショナル)という会社が興味を持ってくれました。
AMIは当時、アメリカ各地で商業施設を一体的に開発していた大手企業で、私はAMIとのコネクションを築き、この地域の具体的な開発計画を進めました。役所も法令やルールを調整し、プロジェクトが実現に向けて動き出しました。
私は民間から役人に転じたばかりでしたが、その経験があったからこそ、法律問題にも柔軟に対応でき、開発がスムーズに進んだと思います。AMIとの協力が確約され、岐阜県の梶原知事ともAMIトップを引き合わせ、プロジェクトが実現に向けて動き出しました。
エンターテイメント施設や商業施設の提案は功を奏し、実際に大規模な施設が建設されることになりました。アメリカの大規模開発のように、駐車場やショッピングモール、映画館、テーマパークなど、全ての要素を取り入れた計画です。
私は「サイバーシティ構想」も持っていました。家庭で全ての買い物ができ、等身大のキャラクターと遊べるような、コンピューターを駆使した都市です。食事や勉強、音楽をリアルに学べる装置を開発し、羽島に導入することを目指していました。多くの人に見てもらい、買ってもらうことで新しいサイバーシティの未来を描いていました。
しかし、土地収用交渉という最大の問題が発生しました。
このプロジェクトを進めるためには、土地を所有している地主の協力が必要でした。当時、地主は60〜70人ほどおり、その土地を「買う」か「借りる」かという選択肢がありました。「買う」方が長期的に見て問題が起こりにくいと考え、まずは地主たちに土地の売却をお願いしました。ほとんどの地主は応じてくれましたが、一部の地主は「祖先代々受け継いできた土地を手放したくない」として、売却を拒否しました。
調査を進めると、実際にはこれらの地主は戦後、マッカーサーの土地解放運動で土地を取得した元小作人であり、「祖先代々の土地」というのは事実ではありませんでした。しかし、説得は難航しました。最終的に、土地の購入を諦めて貸してもらう方向で進めることにしました。その際、土地を貸すことで得られる利益は、農作物を栽培するよりも10倍も良い条件でしたが、彼らはそれでも土地を貸すことに反対しました。
これらの反対により、羽島の開発計画は中止を余儀なくされました。非常に残念な結果であり、街の発展は大きく遅れることとなりました。現在では反対した地主たちの子孫が結局土地を売却したり貸し出したりしており、結果として、土地は十分に活用されていません。あの時に土地を売却または貸していれば、彼らは大きな利益を得ただけでなく、街も大きく発展していたでしょう。
私は諦めきれず、タイムワーナーという映画会社がテーマパークを作っていることを知り、「羽島にそのテーマパークを誘致できないか」と密かに検討しました。アメリカに渡り、タイムワーナーの社長に直接お願いをしました。
その結果、社長が羽島に来てくれ、現地を視察しました。社長は「ここは素晴らしい場所だ」と評価してくれました。新幹線の駅が近く、名鉄の駅もあり、名阪高速道路の出口も近いという好条件が揃っているので、「ここなら絶対に成功する」と言ってくれたのです。
社長の側近から「土地の収用は可能か?」と質問され、私は正直に困難な状況を伝えました。その後、私は土地所有者と再交渉をしましたが、結果はダメでした。このため、タイムワーナーとの計画も頓挫してしまいました。
私はこれまでにAMIとタイムワーナー、2つの計画を進めてきましたが、土地収用問題のため、どちらも実現できませんでした。たった10%の土地所有者の反対により、計画が頓挫してしまったのです。
大野伴睦さんが天国からこの状況をどう見ているのかはわかりませんが、私をいつも支援してくれた梶原知事もすでに亡くなりました。
レゴランドについてお話しします。
私は子どもたちにレゴのおもちゃをよく買い与えており、レゴにはとても興味がありました。そのため、岐阜県にレゴランドを作れないかと考えていました。
アメリカ・カリフォルニア州にレゴランドができるというニュースを聞き、現地に行ってみることにしました。カールズバッドという小さな町で、レゴランドの建設が進んでおり、現地では非常に歓迎され、設計図や完成イメージを見せてもらいました。
私の目的は岐阜県にレゴランドを誘致することでしたが、最終的には失敗しました。その理由は、千葉県が誘致したからです。東京に近い千葉県の方が、レゴランドにとって魅力的だったのでしょう。
レゴランドは韓国にも誘致される予定でしたが、これもうまくいきませんでした。現在、レゴランドは世界中に10か所あり、日本では名古屋に設置されていますが、これは私が目指していたものとは異なるものでした。結局、岐阜県での計画も、千葉県や韓国でのプロジェクトも、うまくいきませんでした。
私は岐阜県で風力発電所を作ることにも挑戦しました。
当時、風力発電を考える人はほとんどいませんでしたが、東野牧場や養老の上室町、そして清村など、いくつかの場所で風力発電所の立ち上げを試みました。各地で事業主体者を探して計画を進めましたが、残念ながら、どの場所でも成功には至りませんでした。
その後、私が岐阜から転任したため、最後までこのプロジェクトを見届けることはできませんでしたが、私の取り組みが全て無駄だったわけではありません。ある会社が恵那市で風力発電所を設立したからです。
私は恵那市長に『ここは有望だから、ぜひ頑張ってください』と伝えました。市長はその言葉を覚えていて、地元の林業関係者や機械関係者と協力し、会社を設立。4億円をかけて風力発電所を建設しました。私は直接関与していませんが、現在恵那市で風力発電所が稼働しており、それが間違いではなかったことが証明されました。
ただ、岐阜県全体で見ると、まだ1箇所しか風力発電所ができていないのは残念なことです。恵那市以外にも良い場所はたくさんあるのに、なぜか計画が進んでいません。今日のお話は以上です。
<質疑>
・川勝さんの強い思いが伝わってきて、本当に悔しいです。私は岐阜県出身なので、「これらを計画通りにやっておけばよかったのに」という気持ちが強くあります。川勝さんが進めようとしていたことは、時代の最先端を行くものでした。例えば、今トヨタが静岡でスマートシティの構想を進めていて、そこで実験が行われています。それが岐阜の羽島でも実現できたのではないかと思います。川勝さんのビジョンはかなり先を見据えていたと感じます。そして、今こそそれを復活させるべきという強い思いがあります。岐阜県出身であることもあり、悔しさとともに「何か成し遂げたい」という気持ちが湧いてきました。
⇒本当に大変な状況の中で、なんとかやってきたのに、10%の地主たちから反対されて、中止せざるを得なかったのは無念でした。怒りもこみ上げ爆発しそうでしたが、部下が必死に止めてくれました。
・昭和村や羽島の開発、レゴランド、風力発電の話題がありましたが、風力発電については、これまでのプロジェクトとは異なるように感じます。川勝さんが得意とされているテーマパークやエンターテイメント関連とは少し異なる分野ですので、風力発電は川勝さんの得意分野ではないのではと思いました。この点についてお伺いしたいです。
⇒エンターテイメントだけが得意というわけではありませんが、エンターテイメント要素を取り入れることには注力しました。新日鉄時代から新規事業を任されてきた経験があり、テーマパークだけでなく、他にも様々なプロジェクトを手掛けてきました。例えば、新潟県での風力発電のプロジェクト、太陽光発電所のプロジェクトにも関わってきました。更に、岐阜県での電気自動車の開発、飛騨牛のプロジェクトなどです。
岐阜県と新潟県でのがん治療センターのプロジェクトにも携わりました。私の妻ががんで亡くなったことがきっかけで、このプロジェクトに強い思いを持って取り組んできました。
特に力を入れたのは、20年ほど前にドローンが存在しない時代に開発した垂直離着陸飛行機です。これについては次回に詳しく説明する予定です。
観光開発などのプロジェクトも手掛けており、エンターテイメントに近い部分もありますが、さまざまな分野で活動してきたことをご理解いただければと思います。
・色々な分野で活動されていることがよく分かりました。それを踏まえて質問させていただきます。岐阜で風力発電などの自然エネルギーを使ったプロジェクトを進めることになった理由は何でしょうか? 新しいプロジェクトに取り組みたいという思いがあったのか、それとも梶原知事の意向が影響していたのか、何か具体的な理由があったのでしょうか?
⇒梶原知事からは「水族館と昭和村についてお願いします」とは言われました。私が思いついた提案には、「いいじゃない、やれやれ」と応じてもらえました。風力発電についてですが、当時から新しいエネルギー源の一つとして考えていました。また、小型の水力発電機も多く作られていたので、エネルギー問題を解決する必要があるという考えがあったと思います。
・台風1つ分のエネルギーで、原子力発電所数個分に相当するエネルギーが得られるという話を聞きます。風力発電は今後も非常に魅力的なエネルギー源となるでしょうか?
⇒私が風力発電に興味を持ったきっかけは、レゴランドでの経験です。カリフォルニアのロサンゼルスからサンディエゴに向かう途中、ウィンドファーム(風力発電所)を見かけました。ウィンドファームとは、多くの風力発電機が並んでいる場所で、「風の農場」という意味です。
風力発電機がたくさん集まっている様子は、まるで畑のように見えました。遠くから見ると、その数の多さと密集具合がよくわかりました。実際、こんなにたくさんの風力発電機があるのは珍しいことです。そのとき、アメリカが風力発電にかなり力を入れていることを実感しました。それを見て、日本でも岐阜県のような地域でも風力発電を進めるべきだと強く感じました。
・風力発電の施設についてですが、高速道路などで時々見かける風車がいくつか回っているのをちらっと見ることがあります。岐阜や日本国内で風力発電所を実現するのは可能なのでしょうか? 日本は台風などの自然災害が多いので、それを逆に利用してエネルギーを賄うことができるのではないかと思うのですが、どうでしょうか。
⇒結論としては、陸上では難しいでしょう。もし取り組むとしたら、海上での実施が必要です。新潟県では風力発電のために一生懸命努力しており、新潟で働いていた時の部下たちが現在も頑張っています。彼らは私の意志を受け継ぎ、沖合に浮かぶ施設や海底に柱を置いて固定する方法を試しています。この二つのプロジェクトを新潟県は進めていますが、エネルギー全体を補うのは難しいです。アメリカの広大な風力発電所のような大規模なものを作るのは、日本の土地では難しいでしょう。しかし、日本は海に囲まれているため、海上での風力発電には可能性があります。
・昭和村のプロジェクトで、最初のコンセプトを作るのが非常に難しかったというお話でした。アイデアが浮かばないこともあるのだと思いながら伺っていました。 多くの経験を積まれてきた中で、昭和村のプロジェクトのコンセプト作りが特に大変だったのでしょうか?
⇒昭和村の基本コンセプトを考えるのに苦労しました。セガにいた時のジョイポリスのコンセプトが浮かばなかった時も同様の苦労がありました。何を作るべきかが決まらず、戦争以外のアイデアが思いつかない状態でした。
コンセプトが抽象的すぎるとダメなので、具体的なものが必要です。基本コンセプトを生み出すことだけでなく、全体的に様々な苦労がありました。アイデアが出るまでには半年以上、1年近くかかりました。
知事からの要望は、具体的な指示はなく、突然「昭和村を作ってくれ」という依頼でした。指示が抽象的で難しいと感じましたが、岐阜県には「大正村」があり、愛知県には「明治村」があることから、昭和村を作りたいという考えは普通だと思います。
知事が言いたかったのは、「明治村に負けない昭和村を作ってほしい」ということです。具体的なコンセプトやアイデアはなく、昭和村を作るように言われました。飲みながらの雑談で「大正村がダメだ」という話になり、「昭和村を作ってほしい」と言われたので、その場の勢いで「わかりました」と答えたのが実際の経緯です。
・ひらめく瞬間をよく記憶されているな!と思うんですが・・・
⇒苦労して考え抜いた結果だからです。アイデアが出なかったら、私の仕事がなくなってしまいます。必死の考えるから、その時のことはよく覚えているんです。初めての経験でも、考えに考えた末にふとアイデアは出てくるものです。例えば、セガのジョイポリスの基本コンセプトも、徹底的に考えた後、酒を飲みながら夜空を見上げた瞬間にひらめきました。そのことは今でもよく覚えています。
・私は20歳まで岐阜に住んでいました。明治村は歴史的な観光地として有名で、小学校や中学校の社会見学のルートにも含まれ、歴史の勉強にも役立ちます。明治時代の建造物が集められており、観光地としてもロマンがあります。西洋文化を取り入れた明治時代の雰囲気は、デートコースとしても有名です。名鉄が積極的に宣伝しているため、明治村の人気は非常に高いです。しかし、岐阜には観光地が少なく、飛騨高山など北の方には良い場所もありますが、名古屋近辺の岐阜市周辺にはあまり観光名所がありません。
そんな中で、昭和村が設立されたのは、昭和の時代に興味を持つ人が増えているからだと思います。昭和レトロな映画『オールウェイズ三丁目の夕日』などで、戦後の人々の努力や温かい交流が描かれ、昭和の時代が再評価されています。昭和村もその流れに乗って人気があります。昭和の雰囲気を体験できる場所として、昭和村も良い選択肢だったと思います。
⇒昭和の時代、岐阜が頑張っていた時期は、助け合いながら発展していた良い時代でした。悪い時ばかりではなく、楽しいこともたくさんありました。その時の生活感を表現するには、当時の状況や環境を考えると良いでしょう。まさにおっしゃった通り、昭和の時代を振り返ることが大切です。昭和戦後の時代は、確かに成長していた時期でしたね。
・最近、平成や令和の時代が忙し過ぎるため、多くの人が何か大切なものを失っているように感じているようです。特に若い世代が昭和のレトロな文化に憧れているのを見て、日本の復活のカギがそこにあるのではないかと感じています。そのため、昭和の良さを再び取り入れることが、川勝さんが考えていたコンセプトに合っており、やり直すのに良いかもしれません。
⇒知事にお伝えてください。選挙があるかもしれないので、その点も含めてお伝え下さい。
・逆に、川勝さんが岐阜の方で、『この人だったら手を貸してくれるかも』といった方はおられないのでしょうか。
⇒私が担当していた頃の人たちは、今ではかなり地位が上がっており、課長になった人もいれば定年退職した人もいます。残念ながら、一番支援してくれた知事も亡くなってしまいました。ここ数年で、皆亡くなってしまったんです。
・川勝さんが考えていたアイデア、例えばレトランドや昭和村、羽島の都市開発の構想を再活性化するのは良いかもしれません。現在の時代に合っているように感じます。昭和村については、昭和の雰囲気を再現したいという声が多いですし、トヨタさんが静岡でスマートシティを推進しているように、岐阜羽島周辺で社会実験を含むエンターテイメント要素を取り入れるのも面白いと思います。岐阜は日本の中心に位置しており、新幹線の岐阜羽島駅からすぐの場所にあり、活性化の可能性があります。
プロジェクトマネジメントの観点から見ると、近くに岐阜大学や名古屋大学、三重大学などがあり、プロジェクトマネジメント教育のテーマとして取り上げることもできます。川勝さんの構想を復活させるために、学生たちと一緒にプロジェクトを進める方法が考えられます。次回、じっくり相談させて下さい。よろしくお願いします。
⇒是非、チャレンジ下さい。資料は全部差し上げますし、当時のメンバーも残っていますので大丈夫です。それまでに、ぜひ一杯飲みましょう。
・昭和村の話を聞いて、その魅力をますます感じました。先ほどのお話で、ジェットコースターが採用されなかったと聞いて、非常に気になります。とても面白そうだったのに、メインのアトラクションだったはずなのに…。
⇒一応建前としては、予算が足りないという理由でした。このことについては私は非常に不満を感じています。また別の機会に、その真実についてお話しします。
・私も聞きたいなと思ってるんで、例えばさっきの1杯飲みながら、face to faceで話し合の場を設定していただけるとありがたいなと思います
・お話を伺って印象に残るのは、セガの社長や岐阜県の知事など、優れたリーダーと出会ったときに、大きな成果を上げられているという印象を受けました。岐阜県の梶原知事は県政を進めるために、川勝さんのような優秀な人材をスカウトし、運営していたと伺いました。このような方法は、どの県でも行われているのでしょうか?それとも、他の県の知事たちはこのような考え方をしていないのでしょうか?
⇒正確にお答えかはわかりませんが、岐阜県で民間人が理事に就任したのは私が初めてのケースです。また、岐阜県から新潟県への異動も初めてのことでした。
・川勝さんは素晴らしいと思いますが、その川勝さんを見つけてアサインした梶原さんが素晴らしいということですね。
⇒梶原さんが私を引っ張り出して働かせた人ですね。それから、セガの社長も関わっています。実は、私を梶原さんに紹介した人がいるんです。その方は京都大学の法学部出身で、梶原さんの先輩に当たります。その方は岐阜県の役人で係長でしたが、その後、新日鉄に転職しました。新日鉄で、関連会社の社長も経験しました。私がセガのジョイポリスで有名になり、NHKなどに出演していたことを知っていたようです。
岐阜県のOB会などで知事とも顔を合わせており、梶原知事も京都大学の法学部の出身で、知事が「面白い人はいないか」と尋ねた際に、「川勝さんという人物はどうだしょう? 以前私の会社にいた人で、ユニバーサルプロジェクトに携わっていたこともあり、今はセガでは有名人です。」と提案しました。その方から連絡があり、岐阜県に来ないかと誘われました。出張も兼ねて岐阜県に行き、そこで梶原知事に会ったのです。
・川勝さんと梶原さんのコンビは地域振興の模範例だと思います。他の県でも同じように取り組むと良いのではないでしょうか。そのためには、川勝さんのような人を約47人育てる必要があるかもしれませんが・・・
⇒私自身は特別だとは思っていません。たまたま運が良くて、私をうまく活用してくれる人がいただけです。結局、上司次第であり、会社でも同じことが言えます。最終的には社長次第だと思います。
・発想力についてですが、川勝さんの発想力は単なるアイデアを思いつくだけでなく、そのアイデアを具体的なプログラムにデザインして実現する構想力にも優れていると思います。これにはいつも感心させられます。
⇒それは褒めすぎです。実際には必死でやっていたというのが本当の気持ちです。
・「『夢工学』という言葉の本質は、『夢』という発想力と『工学』という構想力のコンビネーションにあると思っています。
・川勝さんの話を聞いて感じたことは、突然、神様が降りてくるような「ひらめき」感覚を覚えることがあるんですね。これは、例えばエジソンのような偉大な人たちも経験していることです。彼らは何かを考えているときに、ある瞬間、突然アイデアが降ってくると言われます。
アイデアが浮かぶまでには、「もがく過程」があると思いますが、川勝さんがどのようにもがいているのかを知りたいです。たとえば、いろんな人と話をすることや、多くの絵を描くことなど、川勝さん特有の方法があるのかをお聞きしたいです。
⇒悩んでいるとき、具体的に何をしていたかはあまり覚えていません。ただ、常に紙に書くことはしていました。頭の中だけで考えず、必ず書き出していました。きちんとした文章ではなく、メモ用紙やカードに書き付けて、それを貼り付けて整理していました。
KJ法をマスターしていたので、KJカードに書き込んで、ペタペタ貼っていく作業をしていました。最初は文章を書いていましたが、次第に文章を書くのをやめ、写真や絵など、自分の考えに合うものを使うようになりました。それらを音などと一緒に貼り付けて、思考を整理していました。
・例えば、それはコラージュという感じで、雑誌の切り抜きを貼るようなものですか?
⇒その通りです。とにかく、メモは記録です。脳には『ワーキングスペース』という小さな領域があり、そのスペースが満杯になると、新しい発想が出にくくなります。だから、ワーキングスペースにある記録を外に出すことが大事です。一度外に出せば、脳内からは消えます。考えたことを意味のあるものにするために、必ず記録として残しておく必要があります。
今、私が顧問をしている会社が『KKボード』というものを開発し、もうすぐ販売する予定です。皆さんにもぜひ購入していただきたいと思います。この『KKボード』は、発明者の川勝の『K』と、商品化して運営する会社の名前の『K』から取ったものです。これは知的生産のための折り畳み可能なホワイトボードで、紙やメモを貼り付けて使うことができます(実用新案取得準備中のため、これ以上の詳細は公開できません)。
メモを取ることの重要性と共に、書いたものをどう扱うかも問題です。たとえば、頭の中をすっきりさせるためにメモをどんどん捨てる方法もありますし、逆に書き殴ったメモを残しておいて後で見返す方法もあります。どんどん捨てることも、残しておいて編集することも、どちらも大切だと思います。
・少し難しい質問をさせていただきます。テーマパークやエンターテイメント系のプロジェクトと風力発電所の事業プロジェクトについてです。これらはコンセプトが異なり、取り組む人々も違うため、難しい点があると感じています。
具体的には、風力発電所は脱炭素を目指す社会課題の解決策の一つですが、テーマパークやエンターテイメント系のプロジェクトとは根本的に違うアプローチが求められます。企業が重視するのはコストであり、社会課題の解決とコストの両立が難しいため、風力発電のようなプロジェクトは後回しにされがちです。一方で、テーマパークやエンターテイメント系のプロジェクトはコスト回収がしやすく、企業にとって魅力的な選択肢となります。
そこでお伺いしたいのですが、このように異なるアプローチや区分けについて、何か考えたことはありますか?
⇒私にとっては、風力発電や電気自動車、治療センター、昭和村など、どれも同じように重要です。対象が違うだけで、プロジェクト自体に本質的な違いはありません。例えば、昭和村の建設では環境破壊の懸念があり、大規模ショッピングモールの計画には反対意見がありました。どのプロジェクトにもコストがかかりますが、それをどう解決するかはアイデア次第です。場合によっては、民間企業が協力しなければ行政がその役割を担うこともあります。例えば、太陽光発電は当初、民間企業が手を出さなかったため、県が主導しました。社会課題の解決は、最終的には国や国民が中心になるべきです。
・私が言いたいのは、ターゲット顧客がエンターテイメントとテーマパークでは異なるということです。普通の企業は、社会課題の解決を目的にするとコストがかかるため、腰が引けがちです。また、誰からも喜ばれないことが多いです。
例えば、脱炭素を掲げて、日本全土で風力発電所や設備が増えているのが現状です。私が北海道の自宅に帰る際、以前は牧場だった場所に風力発電の設備が立ち並んでいるのを見かけます。地方でも広がってきていますが、山の中での風力発電はコストがかかり過ぎ、実現が難しいです。
だからこそ、同じ目的を持つ仲間が集まり、エコシステムを作り、国を含む産官学が協力して進めるのが良いのではないかと思いますが、どうでしょうか。
⇒うまくいかない理由の一番大きなものは、役所が動かないからです。民間企業が役所を動かすのは簡単ではありません。役所は聞く耳を持たないからです。本来、役所が最初から動くべきですが、それがうまくいっていません。
私は公務員試験に合格し、県の重要な役職に就いていたので、ある程度役所を動かすことができました。たとえば、知事が風力発電や街づくりを提案したとき、その指示を受けて私が動いたわけです。
日本の問題は、政治家や官僚がうまく機能していないことです。特に財務省が公共投資を怠っているため、日本の競争力が低下しています。
日本の大企業も積極的に動かないことが問題です。例えば、私が新潟県で働いていたとき、アメリカの企業がプロジェクトに参加したときにはみんなが動き出しましたが、当初はプロジェクトがうまくいかなかったことがあります。
このように、官僚が動かないと何も進展しません。だからこそ、私が一生懸命説明しているわけです。
次回は、新潟県の役人として働いていた時の話をします。成功すれば良いですが、失敗すれば当然、私の責任です。それでも、私は挑戦し、成功させました。そういった人間もいるということを覚えておいてください。
国家公務員にはなっていませんが、地方公務員として2つの県で役人を務めました。私のような考えを持つ官僚もいると思います。私は特別な人間とは思っていません。
・なぜ、日本の強みが失われてしまったのでしょうか。今では、私たちが自信を持つ意識が薄れてきているように思います。
現在、社会課題、特に気候変動を含む問題へのアプローチと、それをプログラムやプロジェクトにどう反映させるかについて議論していますが、これは非常に難しい課題です。何とか頑張って解決していきたいと思います。
・川勝さんの話を聞いて、いろいろと思いつくことがありました。まだ夢の段階ですが、川勝さんが岐阜で進めようとしていたレゴランドや羽島の開発、昭和村のプロジェクトなど、ぜひ取り組んでみたいと考えています。
その際には、できれば若者の力を活用したいと考えています。若者たちに新たな視点を持ってもらいたいと思っています。現在の若者たちは昭和に興味を持っており、私たちが持っていない新しい発想をたくさん持っていると感じています。
岐阜には多くの高等教育機関があります。国立大学、私立大学、高等専門学校などです。これらの教育機関と連携し、プロジェクトマネジメント教育のケーススタディとして、例えばレゴランドの活性化や昭和村の再開発を進めるのはどうでしょうか。
特に羽島については、トヨタが静岡で進めようとしているスマートシティの実験と同じ発想で進めるのも良いのではと思います。岐阜はトヨタに近い場所でもあるので、トヨタや中京地区の有力な企業をスポンサーとして巻き込みながら、大規模なプロジェクトに取り組んでいきたいと考えています。これらのアイデアを皆さんと一緒に話し合い、進めていけたらと思います。
⇒ぜひ、それらを実現しましょう。川勝さんにも協力していただけると思います。次に繋がるような流れを作ることができればと思っていますので、新しい人をどんどん呼び込んでいただいて構いません。
以上